
【エッセイ】「ローマの休日」でグレゴリー・ペックは、何を飲んだか?
映画『ローマの休日』(1953年制作)をDVDで見ていて、ひとつの発見をしました。「コールコーヒー」という言葉に出会ったのです。20年くらい前のことでした。
この映画は、高校時代に学校の講堂で巡回映画として見たのが最初で、30年くらい前にもテレビの放送で見てはいましたが、「コールコーヒー」は聞き逃していました。
『ローマの休日』は、オードリー・ヘップバーンが主演するアメリカ映画です。ご存じのようにアメリカ映画は、世界のどこを舞台にする場合でも、基本的にアメリカ英語で話されます。
ヨーロッパの架空の国の王女オードリーと、アメリカ人の新聞記者グレゴリー・ペックとの淡い恋の物語です。記者グレゴリーは王女オードリーと、街なかのオープンカフェの席に座ります。そして彼は王女の希望を聞いて、飲み物を注文します。王女のためには「シャンパン」を、そして自分のためには「コールコーヒー」を。
「あれっ、『コールコーヒー』とゆーた!学生時代の京都と一緒やん」
私はプレイバックして、そのセリフを確認しました。私の耳には「コールコーヒー」と聞こえます。しかし実際は、冷たいコーヒーを意味する「コールドコーヒー」と言っているはずです。つまり「Cold coffee」の[d]音が日本人には聞き取りにくいのです。
この場面の字幕スーパーは、異なるメーカーのどの『ローマの休日』DVDでも「アイスコーヒー」(英語では「Iced Coffee」)と翻訳されています。示し合わせたかのように。
1953年のアメリカ人は、冷たいコーヒーのことを、どうやら「Cold coffee」と言っていたように見えます。「Cold coffee」は、調べると、本来は水出しコーヒーのことだったようです。グレゴリーの頼んだコーヒーは、水出しコーヒーだったかも知れません。
コーヒー輸入商で、喫茶店も経営する夫を持った、長い知友の女性に聞いてみました。
①「コールドコーヒー」とは水出しコーヒーのことで、今は「コールドブリュー」と言うのが一般的である。水出しコーヒーは、コーヒー豆を15時間前後、水に浸してコーヒーエキスを滲み出させたものである。今どこのお店も、氷を加えて出している。
②これに対して「アイスコーヒー」は、濃い目に入れた熱いコーヒーを、多めの氷に流し込んで冷却したものである。
以上のような説明でした。
では、グレゴリー・ペックが飲んでいたのは、①か②、どちらなのか? あるいは、熱いコーヒーを単に冷まして、さらに冷蔵庫で冷やしたものである可能性も考えられます。
私が京都で学生生活を送っていた1968年から72年にかけて、京都では、ガラスコップに氷を浮かべた冷たいコーヒーのことを、誰もが「コールコーヒー」と呼んでいました。それが作るのに手間がかかる水出しコーヒーであったかどうかは知りません。とにかく冷たいコーヒーは、一律に「コールコーヒー」としか呼びませんでした。
そして当時、京都には「アイスコーヒー」という言葉はなく、これは東京の言葉と意識されていました。大阪では「レイコー(冷コーヒーの短略)」と呼んでいたようです。
いつか、神戸出身のお母さんを持つ女性の友人にここまでの話をしたら、
「神戸も、コールコーヒーでしたよ」
と言い出しました。
「子供のころ、お母さんが『コールコーヒー飲む?』と言って、アイスコーヒーを出してくれていました」
「お母さんのご年齢は?」
「松本さんより少し上の世代です。母は神戸で生まれ育ち、就職も神戸でした。母は『コールコーヒー』の青春を神戸で送ったのだと思います」
「なるほど。神戸もコールコーヒーでしたか。こうなると、コールコーヒーと呼んでいた地域はもっと多かった可能性がありますね」
私の学生時代には、喫茶店は今よりもっと特別な場所でした。京都のタクシー初乗り料金が90円、一日の学生アルバイト料が1,000円だった時代に、喫茶店のコーヒーは100円もしました。
当時は街に、個人経営の店も含め、喫茶店はたくさんありました。下宿の部屋にエアコンのない時代で、喫茶店に置かれた「冷房装置」は旧家の仏壇のように巨大で、かつパワフルでした。それが店の片隅に設置されていたのです。冷房を利かしすぎるほど利かした、寒いくらいの喫茶店で夏の日中を過ごす楽しみには、格別のものがありました。
『ローマの休日』に戻りましょう。
グレゴリーが頼んだものを、ボーイさんがテーブルに運んできました。オードリーの前にはシャンパンが、グレゴリーの前には「コールコーヒー(Cold coffee)」が置かれました。その「コールコーヒー」には意外なことに、一片たりとも氷が入っていません。何度見直しても確認できませんでした。
1953年当時、「コールコーヒー」には、アイス(氷)が入っていなかったのです。つまり、現代の自動販売機やコンビニの冷蔵庫の中の缶コーヒーのように、つめたく冷やしただけの、氷のない飲み物だったのです。映画の字幕スーパーを「アイスコーヒー」としているのは誤りなのです。
ここからは推測を少なからず含みます。
アメリカでは、少なくとも『ローマの休日』がヒットした時代までは、今と違って、飲み物に氷を浮かべる文化が存在していなかった。ヨーロッパにもまだなかったのではないか。氷を入れない、冷やしたコーヒーのことを、アメリカでは「Cold coffee」と呼んでいた。
その一方、日本では氷を入れたコーヒーはすでに戦前、東京で生まれていたと言います。氷を入れても「冷やしコーヒー」と呼ばれたりした。コーヒー通から、冷やしたのでは香りを楽しめないとの反撥を受けながらも、むしろ、その冷たさゆえにより味わいのバラエティを増やすこととなった。一説によると、これは元来、日本発の飲み方であって、これにならってアメリカでも「Iced Coffee」という名で飲まれるようになった。
日本でも東京では、アメリカと同じ「アイスコーヒー」というネーミングが採用されて、勢力を日本各地に伸ばした。
ところが関西、特に京都や神戸などでは、旧来のアメリカの呼び名「Cold coffee」に由来する「コールコーヒー」の名を安易に捨てることをしなかった。私の学生時代にも、氷が浮かんだコーヒーは、水出しであろうとなかろうと、すべて「コールコーヒー」だった。ただし大阪では、和洋折衷語の「レイコー」なるオリジナルな語も存続していた。
そして時は過ぎ、今では関西でも、40年ほども前から「コールコーヒー」とも「冷コー」とも言わなくなり、つまり「方言」が消滅して、「アイスコーヒー」という標準語に統一されてしまったのです。
ところで、イタリアなどヨーロッパの現今の事情について、近年まで東西ヨーロッパを旅してきた旧知の女性に問い合わせてみました。回答はこうでした。
ヨーロッパでは日本で言うところの「アイスコーヒー」がメニューにないことが多いです。「 冷たいコーヒーはできますか?」と聞くと、氷入りを出してくれます。
「日本人はなぜ、やたらに氷の入ったコーヒーを飲みたがるのだ?」と、フィレンツェのカフェの店員が言っていました。
こういう証言を聞くと、「アイスコーヒー」はやはり日本発の、オリジナルな文化だったのかと思えてきたりするのです。
さて『ローマの休日』に戻ります。映画のラスト、宮殿での記者会見と、そこでのオードリー・ヘップバーンと、グレゴリー・ペックの別れのシーンが、今見ても胸に迫ります。それを見ると、大学時代の下宿を去るときの強烈な寂しさ、大切だった日々を永遠に失ってしまう、私の心を襲った深い悲しみの瞬間を、ふと思い出してしまうのです。
母の妹である叔母が、20年ほど前、大学時代の私がその叔母に言った言葉を教えてくれました。朝日放送に就職が決まったころ、私は奈良に住むこの叔母の一家を訪ねていたらしいのです。そのこと自体、もう私の記憶から脱落していますが。
「修ちゃんはこう言うてたねぇ。ほんまは、就職なんかして働きとぅないんや。学生のまま、ずっと遊んでいたいんや、て」
それは私の本心だったでしょう。ひたすら自由に気楽に暮らしていたかった。
受験勉強から解放され、京都の学生として4年間、存分に自由な時間を与えられて、学園紛争の嵐の中も、新しい友人たちと面白く交友し、彼らと散歩をしたり大文字山に登ったり酒を飲んだり、ひとりで本を読んだり映画を見たり、好きなことをして幸福に暮らしていた。あの4年間は私にとって、かけがえのない、夢のように素晴らしい日々だった。
そう、私にとってあの日々こそは『京都の休日』であったと思えるのです。