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【エッセイ】志村けんさんの「気ぃ悪いわ!」

1998年のお正月2日の深夜のこと、ひとりでテレビのチャンネルをザッピングしていたら、志村けんさんと笑福亭鶴瓶さんがロケバスに乗って、東京の各所を人に会いに巡ってゆく、という形式の番組をやっていました。このお二人の組み合わせの目新しさに興味を持って、私はこれを最後まで見てしまいました。ちなみに志村さんは私と同学年の人物で、鶴瓶さんは2歳年下です。

二人はロケバスの中で、ざっくばらんなトークを繰り広げています。鶴瓶さんは、こうしたアドリブのフリートークは慣れたもので、町の知らない素人さんのふところにもすぐに潜り込んで、相手を伸びやかな会話の中に引きこんでゆくのはお手の物です。

一方、志村さんは、コントの巧みな喜劇役者であって、台本をいかに面白く演じてゆくかが本領で、同じお笑いでも分野が違います。志村さんには、こうしたフリートーク番組への参加は珍しい体験のはずでした。不得意で、不慣れな仕事であったと思います。

しかし、そこはアドリブの才人・鶴瓶さんです。志村さんに対してであっても「素人さん」扱いは慣れたものです。

たれ目で、いつも愛らしい笑顔を浮かべ、人懐っこさを前面に押し出して、穏やかなゆるいアプローチで、鶴瓶さんは、志村さんの緊張していたはずの心をほぐして、明るい気分に乗せてゆくのです。志村さんは、いかにも高揚した楽しげな表情を見せ、その明るさが見る者に楽しく伝わってきます。

当時見た、その番組の記憶を、以下に再現してみましょう。
 
志村さんはいよいよ調子よく浮かれていって、なんでも言いたい放題になります。鶴瓶さんが、それを言われたらちょっと困るな、と思うことまで言い出しました。それに対して鶴瓶さんは絶妙の間で、こう返しました。

「気ぃ悪いわ!」

志村さんは最初、きょとんとした表情になったかと思います。初めて聞いた言葉だったからでしょう。再び二人の会話が始まります。志村さんは、鶴瓶さんがちょっとイヤだな、と思うようなことをまた話します。すると、鶴瓶さんはまた絶妙の間で、こう返すのです。

「気ぃ悪いわ!」

突然、志村さんは爆笑しました。そして手をたたいて喜びました。さらに自分からも、

「気ぃ悪いわ!」

と、このフレーズを使いました。じつに嬉しそうで、満面の笑みです。

「気ぃ悪いわ!それ、気ぃ悪いわ!」

志村さんは大喜びです。子供が、思いがけない面白いおもちゃを発見した時のような、無邪気な喜びように似ていました。

「気ぃ悪いわ!」は、不愉快なこと、イヤなことなどを言われて、気分が悪くなったときに返す、大阪ことばです。京都でも神戸でも、あまり耳にしません。私も京都文化の支配下に置かれている滋賀県人ですから、使ったことはありません。

もっとも「相手に気ぃ悪されへんやろか?」とかいった「気ぃ悪い」は、関西で広く耳にする言葉です。しかし「気ぃ悪いわ!」というツッコミの表現は、笑いでコミュニケーションを図ることが習い性の、大阪人だけのものです。そして大阪の芸人の多くは、この言葉を自然に使っていて、鶴瓶さんもまた、その一人だったのです。

志村さんは大阪の芸人とそれまで一度もフリートークでご一緒したことはなく、「気ぃ悪いわ!」は、たぶんご存じではなかったのでしょう。だから鶴瓶さんの発言が特別に新鮮で、心に訴えることになったのです。
 
志村さんの故郷・東京都でなら、「気ぃ悪いわ!」の意味の言葉を何と言うでしょう。生育した東村山市でも、遊び場である麻布十番でも、「気分悪いよ!」でしょうか。あるいは、「ヤなこと言うねぇ!」「面白くねぇ!」などでしょうか。

このように、頭に浮かんでくるのは、いずれも、どこか鋭角的な表現です。これに対して「気ぃ悪いわ!」は、どこか、そのとげの先が丸まってソフトになっているように思えるのです。相手への攻撃のパワーや毒気を抜き去って、どこか発言者の寛容さや諦念や許容、そうしたゆるい心のさまが滲んでいるように感じられます。

この言葉が持つニュアンスの面白さに志村さんは鋭く気づき、即座にハマってしまい、自分自身その話者たることを希望し、実践してみたのでしょう。
 
この番組は、ネットで調べると、それは『志村&鶴瓶のあぶない交遊録』だったと思われます。1998年が一回目です。私は、たぶんこれを見たのだと思います。

鶴瓶さんは、「ともさかりえ」のお母さんより自分は年上である。えらい年になってしもた、と発言していました。ロケバスは、大物歌手・青江三奈さんのご自宅に訪問し、最後には東村山市に向かい、志村けんさんの実家に至って、お母さんがテレビに初めて登場します。鶴瓶さんはこのご自宅訪問を心得ていて、あらかじめ打ち合わせしていたのに、志村さんには知らされておらず、志村さんの困惑・狼狽ぶりと、お母さんの明るい伸びやかなキャラクターが、とても面白かった記憶があります。

志村さんはこの出演で、自分の新しい面を存分に引き出してくれた鶴瓶さんに、敬意をいだいたと思います。そしてさらに、自分のフリートークのあり方にもまた、大いなる自信を持ったのではないかと想像します。 

お正月2日の、年に一回のこの番組は、志村さんがコロナで亡くなるまで20数年続く、人気番組となりました。
 
さて、この「気ぃ悪いわ!」のシーンを見てから半年ぐらい経ったころ、週末の午後に、志村さんが若い女性たち3人ぐらいを引き連れて、台湾にグルメツアーするという特番をやっていました。偶然にも私はそれを見る機会があったのです。

台湾を旅するオールロケの番組でした。志村さんは台湾でも人気者ですから、気合も十分だったことでしょう。

ロケ中、女の子たちは、志村さんの言動について、いちいち好き勝手なことを言い放ちます。「それは年寄りくさい」だの、「おじさんはどんくさい」だの、「やり方が下手くそ」だのといった感じでした。そしたら志村さんは彼女たちに、こう言って、いちいち抗議するのです。

「気ぃ悪いわ!」と。

東京の女の子は、志村さんのとぼけた表情と独特の語気、その間の巧みさに爆笑していました。「気ぃ悪いわ!」は、すでに志村さんの笑いの武器となっていたのです。
 
志村けんさんは、「8時だよ!全員集合」で主演したドリフターズに、メンバーの荒井注が抜けたところに新メンバーとして加わりましたが、最初はファンから、よそ者扱いされていました。しかし、東村山音頭などで頭角を現しました。その後、メンバーで一番人気の加藤茶と二人で髭ダンスをお踊っているのを見たときには、そのユニークな身のこなしの可笑しさから、私は、「志村けんは加藤茶を超えたな」と感じました。当時彼は29歳でした。

一方、私は「ラブアタック!」をローカル放送から全国ネットに昇格してもらったあと、東京での視聴率20%を目指して戦っているさ中でした。髭ダンスをテレビで見ながら、同い年の若き才能が活躍しているさまを見て、淡い親しみを感じていたのを覚えています。

志村さんは後年、2006年から2019年まで、お笑いの舞台「志村魂」に打ち込んでおられました。そこで演じられる芝居の多くは「一姫二太郎三かぼちゃ」など大阪の喜劇王・藤山寛美の当たり狂言でした。

志村さんには、親の世代である藤山寛美は、笑いの大きな先人だと意識されており、深い敬意と親しみを持っていたものと思います。

志村さんは共演する若手たちに、藤山寛美の笑いの「間」を学ぶように指導していたそうです。ちょっととぼけた「気ぃ悪いわ!」の使用の無邪気な喜びは、藤山寛美の芸への愛着とも繋がるものでしょう。

もしかすると志村けんさんにとって、いずれの日にか寛美の笑いを超えることが、最終の希望や目標だったかな、と今は思えるのです。


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