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紫式部は風邪を「ひいて」いた

周圏分布か?「風邪」の分布

ここに紹介するのは「風邪(かぜ)」の方言分布図です。
方言調査をするまでは、私は「風邪」のことは、少なくとも本土では、一律に「カゼ」と呼ぶものかと思っていました。

ところが、「ガイキ」「ガイケ」「ギャーケー」などといった、「G音ではじまる同系らしい言葉」が、京を東西から取り囲むように、中部地方や、中国四国、そして九州に分布していたのです。これも「周圏分布」ではないかと思われました。

周圏分布だとしたら、この分布図はこう解釈できます。
風邪を意味する都の古い表現は「カゼ」であった。そのあとに「ガイキ」などG音ではじまる言葉が広まり、それがいったん京の町を一世風靡した後、なおも静かに命脈を保っていた古い言葉「カゼ」が、再び勢力を盛り返して現代に至ったのだ、と。

これはあとで、文献でウラを取る必要があるでしょう。

 
風邪を「ひく」とは何か?

ところで、現代の日本人は「風邪をひく」という言い方をします。「風邪」という表記は明治以降のことだそうで、もともとは「風」と書いていたのです。「カゼ」はれっきとした和語(やまとことば)です。ちなみに、中国には「風邪」という言葉はなく、「感冒」と言ってきたようです。

さて私たち日本人は、「風をひく」と言いますが、この表現は、すでに平安時代には存在していました。日本で一番信頼できる辞書『日本国語大辞典』(以下、『日国』と表記)では、宇津保物語と源氏物語の例を挙げています。

*宇津保物語〔970~999頃〕蔵開上「『風ひき給てん』とてさわぎ、ふせたてまつり給つ」
*源氏物語〔1001~14頃〕明石「何とも聞きわくまじき、このもかのもの、しはぶる人とももすすろはしくてはま風をひきありく」

千年以上前から、感冒という意味の「カゼ」は京にあり、これは「ヒク」ものでした。「コロナになる」「病気にかかる」のと違って、「カゼ」は、なぜか「ヒク」のです。およそ六〇〇年後の戦国時代に、ポルトガル人宣教師が作った『日葡辞書』にも「カゼヲヒク」と明記されています。見てみましょう。

*日葡辞書〔1603~04〕「Cajeuo fiqu (カゼヲ ヒク)〈訳〉風に冒されている。すなわち風が原因で病気になっている」

この表現が、そのまま現在に至っているのです。
「風邪をひく」とは何でしょう。「風邪」、古くは「風」ですが、特に寒い時期に吹く風そのものが悪疫の素をはらんでおり、これを体内に引き込むことによって発症する病いである、という考えが古くから日本にあったものかと考えられます。現代でも私たちは、寒風に当たると、なんとなく、そんな危ない感じがするものです。

 
「咳気」の発音

では「ガイキ」「ガイケ」「ギャーケー」などG音で始まる言葉とはなの何でしょう?これもやはり、『日国』が教えてくれます。
もとは「咳(せき)」の「気」と書いて「咳気」でした。1102年の文献(日記)に現れています。漢字で書かれているので、「ガイキ」と読むのか、「ガイケ」だったのか、不明です。

ところが、1400年代後半に編まれた国語辞典『文明本節用集』には、「咳気 ガイキ」と書かれています。この時代の京では「ガイキ」と発音していたことがわかります。

この「咳気(がいき)」も「風邪」と同様に、和製漢語でしょう。「ガイキ」とは「咳(せき)の出る病気」のこと。「風」には「引く」が必要ですが、「咳気」にはどうか? 『日葡辞書』では、こういう記述になっています。

*日葡辞書〔1603~04〕「Gaiqiuo (ガイキヲ) スル」

つまり、「病気をスル」と言うように、「ガイキ」という病気は、単にこれ「ヲスル」という言い方で済ませられたのです。
 

「咳気」の発音の出現順は?

『日葡辞書』ではさらに、下(しも ※九州のこと)では「ガイケ」と呼ぶことを記しています。現代の九州などの「ギャーケー」の前身かと思えます。見てみましょう。

*日葡辞書〔1603~04〕「Gaiqe (ガイケ)〈訳〉気管支カタル。シモの語」

つまり『日葡辞書』の記述を分析すると、京で「咳気」が「ガイキ」と発音されていた時代に、古語を残しやすい、遠い九州では「ガイケ」と発音していました。

この「ガイケ」は現在、岡山・鳥取、そして岐阜県北部にも、京を取り巻くように分布しています。「ガイケ」こそが、京の古い発音であったかと思われます。京は、最初に「ガイケ」を発信したあと、のちに「ガイキ」という発音に改めたのです。

1102年に初めて京の文献に現れた「咳気」の発音は、おそらく「ガイケ」であったでしょう。やがて同じ京で、『文明本節用集』が作られた 1400 年代後半までに「ガイキ」に替わっていたのです。
 

本居宣長による「ガイキ」衰退の証言

さてそれでは、「咳気(ガイケ、のちにガイキ)」という言葉は、京の都でいつまで栄え、そしていつごろ滅び去っていったのでしょうか?それを知るために、まずは本居宣長(一七三〇~一八〇一)に注目しましょう。

ほぼ一八世紀に生きた、伊勢の国・松坂在の国学者・本居宣長が、貴重な証言を残しています。自らのエッセイ集『玉勝間』で、松坂における「咳気(がいき)」の衰退のさまを述べているのです。「咳気」について書いたのは死の前年の一八〇〇年、宣長七一歳のときでした。わかりやすく現代語訳してみましょう。 

古くは、「風邪引く」ことを「ガイキ(咳気)」と言った。私が若かったころには、まだふつうに使っていたが、今その言葉は滅多に耳にしない。古語である。五、六百年ほど昔の文献では、風邪の病を、多くの場合「咳気」と記している。

本居宣長によれば、自分が若かった一八世紀半ばころまでは、「咳気(がいき)」を使っていたが、一八世紀の終わり末の今になると、もうほぼ死語になっているというのです。「カゼ(ヲ)ヒク」が復活したのです。あくまで松坂の状況かと思われます。
 

京の都での「ガイキ」の衰退

さていよいよ京の都の場合です。
京の流行が、地を這うようにゆるやかに地方に波及していく、という方言周圏論の見地からすれば、松坂より、京ではもっと早く衰えていたはずです。
『日国』オンラインで引用されている文献を全文検索して、上方の文献をチェックしてみました。以下にいくつかピックアップします。

京では、徳川時代初期の1600年代、特に前半を中心に「がいき」「咳気」の出現が集中していることに気づかされます。室町時代、1400年代後半の『文明本節用集』の「咳気」の隆盛は、近世初期の京にも及んでいたのです。見てみましょう。 

*虎明本狂言・止動方角〔室町末~近世初〕「某のがいきげにござらば」
*ロドリゲス日本大文典〔1604~08〕「Gaiquique (ガイキケ)」
*仮名草子・竹斎〔一六二一~二三〕下「衣は薄しがいきして、洟も垂井の宿に著き」
*咄本・醒睡笑〔一六二八〕二「いや咳気は初心に誰も知りたり」
*仮名草子・仁勢物語〔一六三九~四〇頃〕下・九六「彦七が顔をするとも咳気ゆへ」
*浮世草子・新可笑記〔一六八八〕四・三「咳気(ガイキ)くすりなどは手前に合せ」

『日国』オンラインで見れば、1600年代には、特に前半に「ガイキ(咳気)」は、少なからず見かけられるのに、1700年代になると激減します。わずかにお隣りの大坂で、1721年の近松門左衛門の浄瑠璃『女殺油地獄』に、次のように見られる程度です。

*浄瑠璃・女殺油地獄〔一七二一〕咳気を祈るはウ風の宮

こうした文献のありようから、京で「咳気」が衰退していったのは、17世紀の末ぐらいからかと推測されるのです。

その時期は、松坂で18世紀の末に衰退するよりも一世紀も前のことです。都では「風をひく」という旧語の再興によって、「咳気(がいき)」が衰退しました。京における言葉の革新が、そこから100キロばかり離れた松坂にまで到達するには、一世紀を要したのだと感じられるのです。

これは、言葉の地理的伝播速度が、年速およそ930メートル、約1キロ弱であったとする徳川宗賢先生のご研究の成果に合致するものかとも思われます。
 

なぜ「カゼ」が復活したのか?

それにしても、都人が「カゼ」という言葉を疎んじ、「ガイケ」「ガイキ」を歓迎、これにシフトしてしまったのに、どうしてまた「カゼ」に舞い戻ったのか?

これを不思議に思わない人はいないでしょう。私も不思議に思います。どなたか知恵あるお方は、この真相を教えてください。

言葉の印象は変化し、捨てられた古語が復活する場合もときにあります。たとえば。私の学生時代(1968~72)、どの街にも「喫茶店」が溢れていました。もっと以前、大正~昭和初期の昔には、街には女給のいる「カフェ」があったと聞きます。私などは、「カフェ」なんて、おフランスかぶれの、なんと「くさい」言葉だろうか、と思っていたものです。ところが現代、日本の街は「カフェ」だらけです。「カフェ」は今、おしゃれで、心華やぐ喫茶の社交場になっているのです。

言葉の印象が180度変わり、「カゼ」が復活したのは、きっと訳ないことだったのでしょうね。
 

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