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グロテスクが悪で括られる世の中の醜さよ

ホラー小説、映画、漫画に
イラストレーション等、
至る所に血は流れている
しかし、その血は
イマジネーションの中で膨らむ風船だ


私はホラージャンルが好きである
これだけでなく
殺人の歴史も紐解くし、
サスペンス、推理小説も好きだ

グロテスク
そう言われる表現のものも
観るし、読むし

そんな自分を紹介すると
知らない人々は“変人”と思うだろう
(でも可愛いも好きだけれどね)


今まで数多の作品を吸収してきて、
今も継続している

だから殺人も犯した事が…ない
全く、ない
例えばで人を殺す事を考えた事はあるが
完全犯罪等そう簡単に出来ない訳で、
チャレンジしようとは思わない

少なからずでも
理性を養う時間があったらから、
そんな無駄な事を
敢えてしようとはしない
人間の理性はいろいろあるけれど、
コアな事だと思う

話が少し変わるが、
猟奇殺人は昔からあるものだ
ここ最近始まったことではない
にも拘らず、
一概に
所謂ホラーの括りに入れられ、
猟奇的なものに
感化されたせいだと騒がれる

それが腹が立つのだ

これっぽっちも関係していないとは
決して思わないが、
単純に括る事は危険であり、
また、筋違いだと考える


確かに
宮崎勤元死刑囚(死刑執行済)は、
部屋一杯に
それに該当するものを積み上げ、
熱心にそれらの世界に浸っていた様だ

影響がないとは思わない


しかし、
それ以前に、
人としての成長過程や
精神面に問題を抱えていた
そこはあまり深掘りされず、
ある程度の取り調べが済むと刑が確定し
相応の刑が待っている
(…それ以下の場合が多いが、
  これはまた別の機会に記す)


複雑な世の中で
複雑な人の心や言動に遭い、
心に傷を持ち、
その様な
悍ましいと言われる世界に逃避する、
それもあるにはあるだろう
でも逃避した事だけが原因ではないはず

犯罪を犯した人物の
生きてきた過程が、
育ってきた環境、
愛され方、
個々にある
その現実が一番の問題であるはず

なのに、
メディア等によって
直ぐに、その、一括りにされる

危険過ぎる


言論の自由が守られるこの国
他国にはないくらいの自由度で、
文学や歴史等
様々な製作物を手にする事ができる
これほど素晴らしい事を許す国

その素晴らしさを
ほんの一括りの行為が蹴散らしていく

それが私には納得いかないのだ


すすきの事件(と書けばわかるかと)
この事件は今裁判中だが、
被告女性(被告夫婦の子)が
通ったという怪談系バーも
今矢面立たされており、
一括りの中に置かれつつある


違うだろう
被告女性自身をもっと深掘れと言いたい

彼女は病に侵されている
鬱の診断を受けたにも拘らず
親が医師であったが故に
本人が嫌がった入院措置が取られず、
薬も親が処方したものだけを摂り、
それ以前に
大切に大切に育てたがあまり
道を外させてしまった
心を壊してしまった今がある


もっともっと深く掘れ

それこそが
今のこの国の闇の根本なのだから

逮捕したら
裁判で判決が出れば終わり、ではない

一人の起こした事と切り捨てるな
この国の病と思え

そして
一括りにして自由を貶めるな

この自由がなくなれば
他も制約される事になる
美しい文学に
例えば心中が書かれていたとして、
それはタブーとして
一括りにされ
消される事になる


ジョージ・オーウェルの
『1984』ではないはずだ


何もかも簡単に括るな、終わらせるな


私はいつも
いつまでも叫び続け書き続ける

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