子供の夏休みは親にとっての休みじゃないけれど
娘の夏休みが終わった。山梨県は全国より一足早いのか、おととい8/23が始業式だった。いつものように娘を送った後、「やったー!終わったー!」とガッツポーズ。
子供の夏休みは親にとっての夏休みじゃない。休むどころじゃないビッグプロジェクトである。
我が家は共働きなので、娘は毎日学童へ通っていた。給食がないので、毎日お弁当を作る。これが地味にきつい。おかずはほとんど冷凍食品で、朝作るのは厚焼き卵やちくわ胡瓜など簡単なものだけど、とはいえなのです。そして膨大(娘にとっては)な宿題のサポートも地味にきつい。
娘を毎日学童に送っていると、小学生だった頃の夏休みを思い出す。ダラダラと自分のペースで過ごして、テレビを見たり、漫画や本を読んだり、学校のプール開放に行ったり。自由気ままに過ごしていたなあ、ああ、懐かしい。
娘は学童に友達もいるし、楽しんではいるけれど、基本的に1日中部屋の中。もっと自由に過ごさせてあげたいという思いが募る。
なんともいえない後ろめたさが湧いてくる。
そこで8月は休みを多めにもらって、東京や大阪に帰省したり、野球のナイターを見に行ったり、プールに連れて行ったりした。些細なことかもしれないけど、娘にとって「楽しかったなあ、夏休み」になればと思った。
そしてふと、これって私の母や父も、同じような思いだったのではないかと気づいた。母は毎日お昼ご飯を作り、ちょっとしたお出かけに連れて行ってくれた。父は忙しい仕事の合間に、家族旅行に車で連れて行ってくれた。
彼らも同じように、『子どもの夏休みプロジェクト』を懸命にこなしていたんだなあ。
子供の夏休みは、親にとっての休みじゃないけれど、子どもの楽しかった!は嬉しい。娘がふと「ママ、お出かけ楽しかったよ」と言ってくれると、あーあ、よかった、という気持ちになる。
そしてあの頃見えてなかった親の気持ちに気が付けるのも、何だかいいなあと思うのだ。
娘の始業式の夜は、お気に入りのビールで乾杯した。ビックプロジェクトを終えて飲むビールは最高に美味しい。「いやあ、夏休み大変でしたね!」と、あの頃、30代後半だった両親に冷えたビールを注ぎたくなった。