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【随想】 中高年の向学心
「50の手習い」として、今、薬草の勉強をしている。
勉強を進めていると、早く次の段階を学びたくて仕方がない。向学心がコンコンと湧いてくるのだ。参考になる本を探しに本屋をハシゴし、図書館に通う。これは学生時代になかった現象で、自分でも吃驚している。
学生時代、これほど勉学に励んでいれば、また違った人生になっただろうと思うのだ(まあ、「学歴社会」の功罪は脇に置いといてだが)。逆を申せば、なぜ学生時代に向学心が湧いてこなかったのだろうか。不思議である。
その理由について、老生、「学生時代の勉学は他者に規制されたものだったから」と思っている。
「あれを覚えなきゃダメ」
「これも覚えなきゃダメ」
「それも覚えなきゃダメ」
と、日本の教育制度は「ダメ、ダメ」尽くしで学生たちの思考から“自由”を奪い取っている。これを例えるなら、護岸整備された河川の如し。脇に逸れることを許さない。
本来、知識の習得は好奇心の赴くまま自由であるべきだ。ときには本流から外れてみる。行き着いた先に見たことのない風景が広がり、そこから新たな本流が始まるかも知れない。自分らしい流れを創ってゆく。それこそが本当の学問の在り方ではないだろうか。
中高年は好奇心のままに知識を習得する──それが、学生時代に無かった「勉強している」という実感の要因だと考えている。