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【随想】 「持つ者と持たぬ者」の話

 ふと思う。核兵器の保有について。

 持つ国が持たぬ国に「持つな持つな」と強要しても、それは何の説得力も持たない“お坊さんの不信心”。持つ国と隣接する持たぬ国からすれば、四六時中、ギャングに銃口を突きつけられ脅されているようなものだ。目には目を歯には歯を。己の生存のため、「何でウチは持っちゃいけないンだ」と思いたくなる気持ちも判らなくもない。人も国家も他者の風下に立ちたくはないからだ。
 持たぬ国が持つ国に「持つな持つな」と合唱しても暖簾に腕押し糠に釘。人も国家も他者よりも優位に立ちたいと考えるもの。いつまでも永遠に。なので、核保有国が反核運動の声を聞いて、「はい、分かりました。すぐに廃絶いたしましょう」と素直に従うわけがない。持つ国はきっと言うだろう。「俺が捨てたら、お前らが持つんだろう!!」と。強大な武力は、抗議の声をただの空気の振動に変えてしまう。

 抑止のための武器が専守防衛の武器となり、専守防衛のための武器がやがて侵略戦争の武器へと進化(というより「退化」と表現した方が適当か)してゆく。何とも恐ろしい。
 持つ国が核兵器を廃棄するときは、核兵器よりも強力な兵器を手にしたときである。それもまた恐ろしい。


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