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【随想】「自国第一主義」の話

「自国・ファースト」流行はやる今日此の頃。
 威勢のよい言葉は、民衆を洗脳し易く、瞬くうちに世界を席巻する。すると始まるのが、アッチ・コッチからの「自国・ファースト」の大合唱。カエルの合唱隊でもあるまいし。そのうち、年末の合唱は“第九”から“第一”になりそうダ。
 それにしても、何故ナニユエ、そこまで「自国第一主義」にこだわるのか?
 そりゃそうさ、誰も彼もが“お山の大将”になりたくてウズウズ救命丸しているのだから。オイラが大将。
「2位じゃダメなんでしょうか」
 何という哀惜な響きを含んでいる言葉じゃ。これは、最早、平成時代の枯れススキ。貧しさに負けた。いえ、選挙にけた。
 自国がよければそれでイイ。
 他国よそンちが困っていようが苦しんでいようが、知ったこっちゃない。そんなコトにイチイチ構っちゃいられない。所詮、困窮の根源は“自分で蒔いた種”じゃないか。すなわち自業自得。因果応報。
「自分のお尻は自分で拭け」
 と、ウォシュレットの無い便座のように突き離す。嗚呼、何ともすさんだ世。
 人類が”知性“という厄介なモノと付き合いだしてから、幾万年、いつの時代もお互い助け合いながら生きてきた。そうでなきゃ、脆弱な生き物であるヒトが過酷極まる自然界の生存競争サバイバル・レースを生き残れるはずがない。だから、ヒトは徒党を組む。
 “連れション文化”を形成する。
 自分の出来ないコトは、誰かの能力ちからで補完しようとする。そんな風に誰もが皆、他人ひとの助けを欲している。
 しかし、思考が複雑怪奇な進化(変化?)を遂げると、隣近所の存在が疎ましくなってくる。他人ひとの助けが「大きなお世話」に変質すると、人付き合いが重荷に感じる。挙げ句の果てに、「相互扶助」の精神は忌まわしき「ムラ社会」の悪弊だと貶める風潮が生まれる。そして、
 「おひとりさま文化」が醸成される。
 この風潮が好いコトなのか、悪いコトなのか……現在いまの老生には判らない。
 困難に直面している他人ひとに救いの手を差し伸べられないのは、一人ひとりの精神こころの中に余裕が無いからダ──と思う。明日を見透せない不景気な今日が続く。そんな毎日では、現在いま、この一瞬を生きるだけで精一杯。周囲を顧みているいとまなんぞ持てはせぬ。
 不景気な世の中は、民衆ひと精神こころまでも貧しくする。
 それで好いのか日本人!?
 閑話休題それはともかく。何が何でも「自国第一主義」を貫きたくば、
 世界から孤立するのが手っ取り早い。
 すれば、己の上に他国無し。己の下にも他国無し。上も無く下も無いなら、世界に宙ぶらりんと浮かぶ“シャボン玉国家”。風、風、吹くな〜♪。「風」とは、急を告げる“風雲”のコトか。
 やがて、シャボン玉は表面の彩りを無くして、「パチン!」と弾け跡形もなく消え失せる。


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