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【随想】 我は倭人
「地球での自由落下というやつは言葉で言うほど自由ではないのでな」
と、“赤い彗星”のシャア少佐は言った。
「ここには自由があって、良いことばっかりだ」
『映像研には手を出すな!』第9集(小学館)に登場した“魔窟”の保安官デカストップは、そう言って警告した。「それ故に分別のねえヒヨッコにとっちゃ、よくねえ結果も招くんだろう」
中島みゆきは、「見返り美人」の中で“自由”を評して「ひどい言葉ね」と謳ってる。
たしかに、ココ数年、“自由”は酷いコトになっている。「自由の国」を標榜しているA国でも“自由”という概念が崩壊の危機に瀕している。
彼の国には、「万人が平等なアメリカ社会では、人はその才能と努力次第で幾らでも社会的に上昇できるという考え」があるらしい。
しかし、老生が目にし耳にするところでは、A国の大半の人民は“社会的に上昇した者”に対し妬み、嫉みを露わにし、罵詈雑言を吐き捨てている。経済的に成功をおさめた日本人に対しても、“エコノミック・アニマル”という映えある称号を与える気前の良さ。有り難や、有り難や。
それにしても、昨今、勝負に敗けたA国の政財界の人間は、往々にして往生際が悪い。己の不手際を棚に上げて悪態をつく。勝者を誹謗中傷する。挙句の果て、人種差別的な悪口に及ぶ。彼の国には、潔く「ポトリ」と花を落とす椿は生えていないらしい。
人種の坩堝は差別の坩堝。
“自由の国”では、他者を差別するのも“自由”だというコトのようだ。もしかしたら、
「アメリカの市街地に暮らす黒人は“凶悪犯”ばかり」
という老生のイメージは、白色人種たちによる印象操作の結果なのかも知れない。
白色人種は有色人種を貶めている。
なぜなら白色人種は有色人種の潜在能力を怖れているからダ──って、それは何かの陰謀論かい!?
閑話休題。差別は差別を生む。際限なく生み続ける。それまで差別されていた側も、自分たちが差別できる集団を探す。我らもA国の差別社会に混じれば、途端に最下層の被差別人種となるのだ。いくら先進国・経済大国の国民を自負していても……。
だからといって、卑屈になっては不可ない。 その思考態度は、自らが謂れ無き“差別”を受け入れたに等しいからダ。
日本人よ、もっと胸を張れ。
「エコノミック・アニマル、上等じゃないか」
そのくらいの気概が欲しい。そして、己に誇りをもて。
異国の顔色を伺っているようじゃ、不可ん不可ん。
我も誇りを胸に生きてゆく。
そう、我は倭国の倭人なり。
帯方の東南大海の中に在り。