【随想】 野球教の話
日本人は野球好きである。
否、「好き」を通り越して、 日本人は“野球教”に洗脳されている。
老生思うに、野球というスポーツは「無駄」の多いスポーツである。
最大の無駄は、たった9人の野手のために広いグランドが必要なところだ。
その昔、付き合いで東京ドームに野球観戦しに行ったことがある。そのとき感じたのは、「野球とは随分と選手密度の希薄なスポーツだなぁ」ということ。活用されていない土地が多い。そんな「無駄に場所を取るスポーツ」である野球は、「だだっ広い土地のある米国でするスポーツであって国土の狭い日本には不似合いなスポーツだ」と思うのは、老生だけだろうか?
そういえば、学校の野球部も狭い校庭を我が物顔で使っていたっけ。他の運動部も練習しているというのに。学校によっては、専用グランドを持っている野球部もある。どんなに弱くとも至れり尽くせり。何とも恵まれたスポーツじゃわい。部室すら無い部活もあるというのに。
「無駄」といえば、攻撃はたった1人の選手(打者)しかおこなえないというのも、無駄と言えば無駄である。残りの8人はベンチで待機している。満塁の場面(走者3人)でも、5人が手持ち無沙汰でいる。団体競技でこれほどの無駄はあるまい。サッカーの試合では、ゴールキーパーを含めた“全員攻撃”もあるというのに。
「攻撃」といえば、得点の取り方にも無駄がある。
どんなに大量得点をしても、その“得失点差”を次の試合に活かせないのも「無駄」といえば無駄である。
プロ野球の三連戦でいつも思う。
例えば、初戦で10対0で勝利しても、2、3戦で0対1、0対1で敗れたら、その三連戦は負け越しになる。初戦の10点差はなんだったのか。
効率的な勝ち方は、1点差で勝利することである。
また、守備の面にも無駄がある。
それは、常にボールに触れているのが投手と捕手の2人だけということ。試合中、一度も打球が飛んでこない野手がいないとも限らない。
野球とは、チームワーク内に運動量の不均衡が生じるスポーツでもある。投手だけが重労働の世界。
そこで考えた。
守備位置をローテーション制にするのは、どうだろう。その際、野手の人数(9人)と1試合のイニング数(9イニング)の数が同じことを活用し、1イニング毎に守備位置をローテーションするのは、どうだろうか。ひとりの選手が次のように守備位置を変えてゆく。
1回.投手:ピッチャー
↓
2回.捕手:キャッチャー
↓
3回.一塁手:ファースト
↓
4回.二塁手:セカンド
↓
5回.三塁手:サード
↓
6回.遊撃手:ショート
↓
7回.左翼手:レフト
↓
8回.中堅手:センター
↓
9回.右翼手:ライト
↓
(延長戦に入ったら、「投手:ピッチャー」に戻る)
野手をローテーション制にすることで、選手にはオールラウンドの能力が求められるようになる。
そうなると、例えば学生野球に於いては、“怪物”と称されるひとりの選手がチームを勝利に導くという時代ではなくなる。勝利のためには、選手一人ひとりの技術の向上が不可欠となるのだ。
まぁ、そんな風にルールの一部を変えたり新しいルールを付け加えたりして、それまでと違ったスポーツを作るのはどうだろうか? そう、サッカーからラグビーを誕生させたように……。