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書くことはどんな人間になりたいのかを考える営みである

私には長年、「書く」ということに対しての憧れがある。

ただ、仕事として依頼される文章ならスラスラ書けるものの、「自分のことについてラフに書こう」と思うと筆が止まってしまうのだ。

このnoteも、「読書」というテーマがあるから何とか書けている。

そんな私に、自分の思ったこと、考えたことについて書く勇気をくれたのがこの本だ。

筆者は、自分の軸をもって生きられている理由は、書き続けているからだと言う。

20代の後半から、僕は長きにわたって自分の内側を見つめ、書きつづけていました。自分の好きなものや苦手なものを知り、人生にとって大切なものを知り、自分のしあわせを、豊かさを、生き方をひとつずつ見つけてきた。
そうして「自分の生活」をつくりあげることができたのです。
自分の生活があるから、情報や他人の声に気持ちを乱されることはほとんどありません。なにかを決めるときも、たいていのことは答えをすっと出せます。ときどきバランスを崩しそうになることはあるけれど、すぐに「あ、いまの僕はいつもの僕と違うな」と気づき、力を抜いて、ニュートラルな自分に戻すことができます。

自分の幸せや豊かさが確固たるものとなっていれば、周りの価値基準に振り回されることなく、自分らしい人生を送ることができる。

そのための方法が書くことである、というのであれば、「書くことに憧れている場合ではない、もう、書き始めよう」と心から思ったのだ。

そして、何を書いたらいいのか、ということについても大きな気づきをもらえた。

筆者は、エッセイとは、「秘密の告白」であるという。
この秘密とは、自分が発見した、ものやことに隠された本質で、自分の内側から生まれた自分の言葉のことだそう。

そして、「秘密」を発見するためには自分ならではの「視点」が大事。

その例もわかりやすかったので紹介したい。

スパイスカレーを食べて、「おいしい」と感動したとして、「おいしい」とだけ書くのではなくて、スパイスに思いを寄せたり、スプーンや器に注目したり、他のお店との違いを考えたり、つくる人に関心を持ったり、個人的な思い出を引き寄せたりする。

目の前にある花器を正面から見るだけでなく、「後ろ側はもっとおもしろいんじゃないか」と見る角度を変えてみたり、そこに書いてあるサインから作者の生い立ちやつくったときの時代を想像したり、どういう意図でつくられたのかを考えたりする。

「夫婦」についての定義を考えるなら、夫婦とはどんな関係だろうか、信頼とは、愛とはなんだろうかと考えを重ねてみる。夫婦でいることの意味をとらえ直したり、自分たち夫婦のふとした会話から気づきを得たりして深堀してみる。

自分の腑に落ちる答えを見つけるまで、考えを転がすことが大事だそう。

なるほど…ものすごくわかりやすい。

そして、エッセイを書くためには特別な経験は要らないと筆者は言っている。

自分の心が少しでも動いたら、どうしてだろう?と立ち止まってみることから始まると。

以下の例もわかりやすい。

「会社の先輩から豆大福をもらった。とてもうれしかった」はただのできごとだが、そこからまた一層二層掘り下げる。
「なぜ自分はそれをうれしいと感じたのだろう?」
豆大福をもらうと、他のお菓子よりもうれしい気持ちになる。
そういえば、どうして自分は豆大福がこんなに好きなんだっけ。
そうだ、子どものころにおばあちゃんの家に行くと、いつも和菓子を食べさせてもらってたんだ。
おばあちゃんはいつもにこにこ優しくて、はたらき者だったなぁ。
そういえばおばあちゃんの畑作業をみながら豆大福を食べたことがあって、あのときの風は最高に気持ちよかったな。
そうか、だから自分にとって豆大福は尊敬と愛情の証なんだな。
僕はおばあちゃんにはじめて「尊敬」を教えてもらったのかもしれない。
この「尊敬」の原体験は、僕にどんな影響を与えているのだろう。

私も気持ちが動いたら考えを転がす癖をつけていきたい

久々に出会った、何度も読み返して教科書にしたい本だった。

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