資本主義と宗教と秩序は権力主義という人間の本質ではないか


猿という生物は群れの中にボス猿という権力をつくることで、秩序を獲得し、種を繋いできた。

このことから人間などのある程度の本能に逆らうことができる理性(社会性)をもった生物は、権力に差をつけることで生存に有利になるようにしていた。

例え、人間として社会性やカリスマ性や外見や知性などの滲み出る本質的性質が劣っていたとしても、権力という武器があれば他者を見下しコントロールすることが可能になる。

この他者を見下す武器こそが人間の、もっと言うと社会間で顕在しているおおよその問題の根本にあると私は考えている。

資本主義が良い例えだ。これは簡単で金持った人が人間的に権力を持っていて、金を持ってない人はその権力にすがるという主義。人間の権力主義にぴったり当てはまっている。

そう考えると、権力主義という本能に逆らった社会主義を考えた人は凄い!って思うかもしれないけど、社会主義にも社会を管理する組織があったし、人間の権力主義に反してるから継続しなかった。

本能に逆らった理性者としてマルクスはかなり頭がいい人だったんだろう。

宗教については、教祖がいてそれを信仰するという教義。これも教祖という権力者がいてそれを信仰することで安心感を得られる。これも明らかに権力主義である。

もっというと差別とか格差とかの問題もこの権力主義から発生したものなのではないだろうか。

動物の他者より優位に立ちたいという本能こそが世の中の問題の大半の原因なのではないか。そのようにシステムされた我々は日々自省を繰り返しまた罪を重ねるのである。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?