思想家とは
まず、思想家の定義を決める必要があるんだけど、これは人によって曖昧なところがあるから、wikiの言葉を引用してみる。
「思想家は、様々な思想・考えに関する問題を研究し、学び、考察し、熟考し、あるいは問うて答えるために、自分の知性を使おうと試みる人。日本語では哲学者と同義で使われる場合が多い。」
僕は思想家って、その人自身が「世の中はもっと~になった方がいい」みたいな思想にもとずいてリーダーシップを取っている人(主義者みたいな)かと思ったんだけど、wikiを見るにもっと広い意味で使われてるみたい。
wikiの文脈を定義とするとあまりに意味が広くて一般化するのが難しいので、僕の定義から考えようと思う。
尊敬している岡田斗司夫先生の考え方を借りると思想家は大きく2つに分類できる。
それは、社会改革派と人間改革派である。(ずいぶん前に読んだ本だから正確な単語は忘れた)
何か社会問題が起こったときに、社会システムの改善を考えるのか、大衆の思想の改善を考えるのかの派閥分けである。
これは僕個人の考えなんだけど、社会改革派は人間に期待していない人が多い。人に興味がない人とか、コミュニケーションが得意でない人、正義感が強い人は主にこっち側に分類される。東浩紀とか岡田斗司夫もこっち側かな。
人間改革派は人間が好きな人、性善説を信じてる人とか宗教団体の教祖みたいな人(笑)かな。マツコ・デラックスとか鴨頭嘉人はこっち側。
織田信長は社会改革派だし、豊臣秀吉は人間改革派、徳川家康はその中間みたいな感じ。
僕はこの2つの分類はミクロな社会問題でしか利用できないと思ってる。(ミクロな社会問題って単語が矛盾してるという意見は受け付けておりません。)
例えば、国レベルの経済危機(大きい社会問題)が起きたときに人間の思想をどれくらい変えても問題解決にならないのではないかと考えているからだ。
つまり、僕は前者。理系だからかな~、理系は前者の人が多い気がする。
今この文章を読んでる人はボイルシャルルの法則ってしってるかな。要は反比例の事なんだけど、さっき述べた社会改革派と人間改革派はまさにそれが当てはまる。社会を改革しようと思ってる人は人間の思想の改革にあまり関心がないし、人間の思想を改革しようと思ってる人は社会システムの改革に関心がない。どちらかを伸ばせばもう片方が縮むようになってる。ちなみにこれも岡田先生の受け入り。
一般的には社会改革派が思想家だと思われてるけど、僕は人間改革派も思想家の枠に入れていいと思ってる。
もし、思想家になりたいんだったら社会と人間の2つの軸で社会問題を考えてみたらどうだろうか。別に本当に周りの人を変える必要はなくて、自分の頭の中でその2つの軸について自分なりの結論を出せば、君も立派な思想家だ。その結論をもとに行動すれば主義者になれる。僕は行動に移すのが苦手だから多分思想家に近い。
思想家にしろ主義者にしろ、社会をより良くするために彼らは日々頭を悩ませている。
それにしても、思想家って言葉の意味広すぎ。