[2023/06/07] スラウェシ市民通信(3):パニコ・ビビ ― 海藻を縛る女性たち(2007年3月翻訳)(ルナ・ヴィドゥヤ/訳:松井和久)
〜『よりどりインドネシア』第143号(2023年6月7日発行)所収〜
マカッサル市の南約60キロにあるジェネポント県ボント・ウジュン村。一軒の高床住居の床下で女性が赤ん坊をあやしながら忙しく働いている様子が見える。彼女のそばには、塗るとひんやりする白粉を顔中に塗った少女たちが座っており、なかに老女も一人いるが、みんなで同じ作業に没頭している。海藻を縛る作業の最中なのだ。彼女らは土地の言葉で「パニコ・ビビ」(panyiko’ bibi)と呼ばれている。
パニコ・ビビの仕事
2004年頃から、南スラウェシ州の南海岸で海藻の養殖が盛んになるのに合わせて、この村の様々な年齢の女性たちはパニコ・ビビとしての仕事を始めた。3年前まで、この村の女性たちの大半は、日頃の生活について尋ねられると、「ただ家にいるよ」と答えたものだった。しかし、今では様子は一変した。海藻養殖が彼女らの答えを「海藻を縛っているのよ」へと変えたのである。
彼女らは高床式の家の床下、テント、あるいは海岸や海にせり出したサゴ椰子の葉で葺かれた屋根の竹小屋などに置かれた新鮮な海藻の山を取り囲んで、集まってはおしゃべりをしながら作業する。彼女らの手が新鮮な海藻を選び、切り、成長を促す植えつけができるように海藻を縛る。
このコットニー(cottonii)あるいはスピノサム(spinosum)という名前の種類の海藻(訳注1)を養殖するに当たっては、男性と女性との間の分担が一家族全員で平等になるようにする。すなわち、子ども、大人あるいは親、男性、女性、皆がこの作業に関わるのである。もちろん、それぞれの役割や分担量は異なる。
通常、海藻を養殖する場の準備、養育、収穫といった海上での仕事は男性が受け持つ。女性は、海藻の種を植えつける紐を作ったり、海藻を縛ったり、天火乾燥させたりなど、陸上での仕事を多く受け持つ。
養殖する場の面積がさほど広くなければ、陸上での仕事は一家族の成員で分業できる。しかし、海藻の種を植えつける場所となる長い紐(土地の言葉ではベンタン(bentang)と呼ばれる)の数が300本を超えると、ベンタンを作ったり海藻を縛ったりする作業にはもっとたくさんの人数が必要になってくる(訳注2)。
海藻を縛って、海藻の種をベンタンにつける段階は、海藻養殖で最も注意を要する段階である。海藻はすばやく縛らなければならない。もしそうでないと、海藻の茎の部分が苗になるには柔らかくなりすぎてしまうのだ。だから、この段階でのできが収穫を左右するのである。
なぜ女性が海藻を縛るのか
どうして海藻を縛る作業は女性がほとんどなのか。どうして南海岸地域の男性は海藻を縛らないのか。ボント・ウジュン村の海藻農家の一人ダエン・レワさんによると、海藻苗が茎になっていけそうに十分育つと、作業はよりしんどい段階になる。この段階になると、誰かがベンタンを担いで運び、海中に下ろさなければならない。これは男性の仕事なのだ。
ベンタンを運んで海に下ろすのは一日で済ませるのが理想的だ。植えつけた海藻苗の成長力を維持するには、海藻をすばやく選び、縛る女性の作業が重要になるのである。女性が海藻苗を縛ってベンタンに仕上げる間は、男性の休息の時間となる。
女性の作業が重要な理由はほかにもある。海藻養殖の技術普及員であるカスマンさんによると、女性の手は繊細なので、女性が作業すると海藻が折れないのである。
技術的には、海藻を縛る作業を覚えるのに時間はさほどかからない。しかし、パニコ・ビビが海藻をどう選び、切り、苗に分けているかをみていると、彼女らの役割は単なる「海藻縛り工」に留まらない。海藻の種を植えつける際に、海藻のどの部分が苗として繁殖していくのに最良かを選んで決定するのは、すべてパニコ・ビビの手に委ねられているのである。
彼女らは海藻の苗を分別する作業に最大限の責任を持つ。彼女らの作業をみれば、海藻農家への指導された技術がどの程度吸収されたかが分かるのである。たとえば、よい苗とはいかなるものか、波が高いときに使う苗の大きさはどの程度が適当か、といったことである。換言すれば、この作業は早さが要求されるだけではなく、丁寧さ、判断力、明晰さも要求されるのである。
海藻養殖で所得が向上
マカッサル語でタナム・アガラッ(tanam agara’)と呼ばれるこの海藻養殖の作業は、全般的に住民の所得を向上させている。
女性は、これまで漁業で切れた網の修繕の手伝いをしても報酬をもらえなかったのだが、パニコ・ビビの仕事は新しい状況を作り出した。海藻を縛ることで、南海岸の漁村の女性たちは、今では家計に対する経済的貢献を果たせるようになった。
パニコ・ビビには賃金が支払われる。女性は陸上のほかの多くの仕事から日銭を稼ぐことができるはずなのだが、これまで、海藻を縛る作業ほどには日銭を稼ぐ機会はなかったのである。
タカラール県のタナ・ケケ村では、パニコ・ビビは現金で賃金が支払われない代わりに、作業の報酬として苗が配られるが、他の地域では、海藻を縛る作業への報酬としてパニコ・ビビには現金で賃金が支払われる。この賃金は、1日の作業で何本のベンタンに海藻を縛ったかに応じて支払われる。約25メートルの長さのベンタンに苗を縛ると、彼女らは1,200~1,500ルピア(約20円)の報酬を受ける。
報酬額は場所によって異なる。ブルクンバ県ボントバハリ村のダエン・ブンガさんの場合は、ベンタン1本につき1,500ルピアである。一方、ジェネポント県アルン・ケケ村では、同じ長さのベンタン1本で1,200ルピアになる。
通常、彼女らは1日に1人当たり5~10本のベンタンに海藻を縛る。もっとも、1人で何本のベンタンに海藻を縛るかは、縛る苗の数やそこで働く女性の数などに左右される。最低限の額でみても、パニコ・ビビは1人当たり1週間で4万2,000ルピアを稼ぐことになる。
また、海藻を縛る作業で毎日賃金を得られるのは、海藻の植え付け期のおおよそ2~3ヵ月間に限られる。この季節は「よい季節」と呼ばれている。
ボントバハリ村では、この「よい季節」は6~11月であり、作業のピークは8~10月になる。これ以外の季節には、パニコ・ビビの作業は毎日ではなくなる。
この集約的な養殖作業のおかげで、毎日最低でも6,000ルピアの現金を稼げる機会があるということは、海に関わる経済活動としてはとても「ぜいたくな」ことなのである。現金収入が毎日ある、ということがぜいたくなのである。
金のネックレスを買う
現金収入が毎日あることで、日々の家事に関わる出費に対する不安がなくなっただけではない。ダエン・ブンガさんは、金のネックレスを買うために貯金を始めた。ジェネポント県パッビリンガ村のパニコ・ビビの少女ナスラさんは、今では化粧品を買ったり、中央市場で友だちとバソ(牛肉団子入りスープで、インドネシア全国で最もポピュラーな食べものの一つ)を食べたりすることができるようになった。
現金収入が毎日あるという、以前なら到底考えられなかった事態は、「十分な食糧を購入できてよかった」という面と同時に、「思い切って借金をしてみよう」という面も引き起こしている。パニコ・ビビが「よい季節」に稼いだ資金で、住民たちはクレジット、とくにバイクを買うためのクレジットを始めるのである。
悲しいことに、彼らの多くは資金管理やクレジット返済の知識に乏しいので、その多くが借金の罠へ陥っていく。そして彼らは、「グループ長」と呼ばれる、資金を持つ海藻集配商人から借金をするのである。
「よい季節」と呼ばれる繁忙期には、パニコ・ビビの労働力を確保するのが難しい場所も出てくる。一つの村や集落で海藻苗作りを行うのは少数の農民であり、十分な数のパニコ・ビビを確保できないケースが少なくないのである。
パニコ・ビビの役割は現状ではとても重要である。彼らは必要とされているが、競争は少ない。こうした状況が、前述のクレジットを借りたり借金をしたりする彼らの決定に影響を与えているのかもしれない。
女性の研修はまだ少ない
パニコ・ビビも技術情報を伴って地域特有の知識形成に広く関わっており、かつ家計に対するパニコ・ビビの個人的な経済的貢献が潜在的に高いことを考慮するならば、「グループ長」(資金を持っている者)と同様に、パニコ・ビビも海藻に関する研修へ参加するのが当然と考えられる。
しかし、残念ながら、現況では、パニコ・ビビは人的資源の質のエンパワーメントという面で意義のある研修の機会をまだ得ることができていないどころか、無視されていると言ってもよいような状況にある。海藻養殖に関する研修では、まだまだ男性が優先されるのである。
もっとも、家族レベルでの仕事の分担量を見れば、女性の役割は海藻養殖における男性と同等に重要なのである。
小規模経済運営を目的とした研修において、パニコ・ビビを対象としたものはまだなく、海藻養殖に関する技術指導に留まっているが、この点は批判されるべきである。なぜなら、海岸部の漁村住民の能力向上のためには、男性に対して海藻の適正な植え付け方を、女性に対して海藻シロップの作り方を教える、といった狭い実践的な技術指導だけでは不十分だからである。
こうした南海岸の海藻を縛る女性たちこそ、これまで貧困社会と言われ続けてきた漁村社会の厚生を改善させるための重要な要素なのである。
(Luna Vidya/国際金融公社プロジェクト・コーディネーター)
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