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[2024/12/08] 東京近郊に暮らすインドネシア人(3):東京からシドニーへ羽ばたいていった元生徒、メフィアちゃんの物語(西野恵子)

~『よりどりインドネシア』第179号(2024年12月8日発行)所収~

みなさま、こんにちは。西野恵子です。東京近郊に暮らすインドネシア人へのインタビュー記事をお送りするシリーズ、第3回目をお届けいたします。

前回までの記事も、こちらからぜひご覧ください。

東京近郊に暮らすインドネシア人(1):10年来の友人ミヤさんが今だから笑って話せること(『よりどりインドネシア』第171号)

東京近郊に暮らすインドネシア人(2):日本で数千人にインドネシア語を教えたアイ先生の45年(『よりどりインドネシア』第174号)

今回のゲストは、メフィア・チャンドラー(Mevia Tjandra)さん(19歳)。筆者は、東京インドネシア学校の日本語教師として、メフィアちゃんの高校三年間を伴走しました。卒業後、インドネシアでも日本でもなく、オーストラリアの大学へ進学したメフィアちゃん。異国の地で一人頑張る様子を終始ニコニコと穏やかな口調で答えてくれる姿が印象的でした。

インタビューはほとんどすべて日本語で行いました。筆者が読みやすいようにまとめていますが、できるだけご本人の言葉をそのまま掲載します。今回はオンラインでお話を伺いました。


幼少期~来日まで

メフィアちゃんは、タンゲラン生まれ、タンゲラン育ち。三人姉妹の次女として生まれた。小学校1年生のとき、お父さんの仕事の都合でオーストラリアのメルボルンに1年間滞在したそうだ。

メルボルン滞在を終えた後は、タンゲランに戻り、私立の小学校に通った。英語教育が盛んに行われる学校だったこともあり、幼少期から英語には馴染みがあったという。映画やYouTubeも英語で楽しんでいた。

2017年、仕事の都合でお父さんが日本へ。お母さんと子どもたちはその後を追う形で2019年に来日した。このときメフィアちゃんは、中学校3年生だった。

日本に行く前に、インドネシアで週一回、日本語レッスンで勉強して、N5(筆者注:日本語能力試験のレベルのこと。N5からN1に向かってレベルが上がっていく)まで。日本に来て最初の頃はそんなに言葉もできなかったけど、日本人は優しいから、手伝ってくれました。日本でも英語を話す人が増えてきていたし、それほど困らなかったかな。

最初の計画では、中学校3年生は東京のインドネシア学校で、高校からは日本の高校へ行こうと思っていました。でも、日本の高校入試は厳しいし、インドネシア学校も好きになってここから出たくないなという気持ちもでてきたから、そのままインドネシア学校の高校へ進学しました。

東京インドネシア学校での高校生活

筆者と出会ったのは、ちょうどこの頃である。2020年6月、メフィアちゃんが高校1年生になったタイミングで、筆者はインドネシア学校の日本語教師になった。新型コロナが大流行していた時期で、入って早々、右も左もわからないままオンライン授業が始まった。

筆者は20年ほど前に一応日本語教師試験に合格しているものの、実際に日本語を教えた経験はなかった。というのも、日本語教師試験を受験したのは日本語教師になりたいという熱い気持ちがあったわけではなく、思いがけず大病に見舞われ、手術と長期間入院をせざるを得なくなった状況で、身も心もボロボロの中なんとか自分を鼓舞しようと数年間放置してあった日本語教師試験の通信教材を勉強しはじめた結果、運よく合格しただけ・・・、という経緯があったので、どちらかというと「日本語教師」というワードから連想されるのは、あの辛く苦しい闘病生活というマイナスのイメージだったからだ。

ところが、新型コロナの影響でフリーランスの翻訳仕事がほとんどゼロになり先行き不安になっていたところに「インドネシア語ができる日本語教師を探している」とお声がけいただいた(前回インタビューさせていただいたアイ先生が紹介してくれた)。条件としてはピッタリだが、明らかに力不足な自分に不安を抱きつつ、明るく優しい同僚の先生方や、素直な生徒たちに恵まれ、イチから勉強し直しながらなんとか歩みはじめたあの日から、気づくともう4年半が経過している。つくづく人生とはわからないものである・・・。

さて、話をメフィアちゃんに戻そう。

(2022年7月頃:メフィアちゃん11年生(高校2年生)時、日本語の授業にて)

出会ったばかりの頃から、メフィアちゃんとはすでに日本語で会話をしていた記憶がある。つまりメフィアちゃんは、来日して最初の1年間で、ずいぶん日本語能力を伸ばしていたのではないかと思う。

インドネシア学校では日本語の授業が週に一回しかなかったから、家で、自分で漢字やJLPTの勉強をしていました。J-POPを聞くのも好きでした。優里とか、Saucy Dogとか。高校卒業までに、最終的にはN2レベルまで勉強しました。でも今はあんまり使わないから、日本語は忘れてきちゃった(笑)。

そう言いつつ、筆者からの日本語の質問をきちんと理解し、日本語で的確に答えを返してくれるのがなんだか嬉しかった。メフィアちゃんに限らず、教え子の中高生と話しているとよく感じることだが、彼らは日本のアニメや歌を本当によく知っている。「この歌好き!このアニメ面白い!」という文化的な繋がりを作ることができるこうしたコンテンツは、日本が誇るべきものの一つではないかと思っている。

年に一度、学校の行事でクラス毎に日本語の歌を歌う機会があるのだが、中高生が「これ歌いたい!」と教えてくれる歌を、40代の筆者はほとんど知らない。そこにK-POPまでもが入り込み、日常会話の中に韓国語の単語が聞こえてくることもしばしばである。すかさず筆者もわずかばかり知っている韓国語で会話に参加すると「先生、韓国語もしゃべれるの?!やっぱり日本と近いから?」なんて言われることもある(実際には、全然話せないけれど、生徒が喜んでくれるので、NHKラジオ講座で学んだ韓国語での自己紹介は一つのネタとなっている)。

さて、メフィアちゃんは高校2~3年生にかけて一年間、生徒会長を務めている。勉強に生徒会活動にさぞ充実していたであろう高校時代、印象に残っていることについて質問してみた。

思い出に残っていることは、高校二年生のとき、一つ上の先輩の卒業式の後、みんなで集まってダンスしたり歌ったりしたのが楽しかったです。あとは日本の学校やいろいろなイベントで、アンクルンを演奏したり、タリ・サマン(訳者注:アチェに伝わる伝統舞踊)を披露しに行ったりするのも楽しかったです。実は、放課後のクラブ活動で伝統舞踊を練習するのはあまり好きじゃなかったんだけど「メフィアは生徒会長なんだし、できないとだめよ!ほら!」と先生に言われて、最初はいやだったけど、だんだん楽しくなりました。アンクルンも練習は嫌だなと思うこともあったけど、楽しくていい思い出です。

メフィアちゃんは、クリスチャンだ。ムスリムの生徒が大多数を占めるインドネシア学校で、断食のときはどう過ごしていたのだろう?

断食していない子たちと一緒に食べることもあったけど、自分も学校では断食したりしていました。イスラム教みたいに世界中で一斉にやるわけじゃないけど、キリスト教でも、イースターやクリスマスのときなど、みんなそれぞれに断食したりするので(断食することに対して抵抗はなかった)。宗教の違いで困ったことは、特にありませんでした。

その言葉通り、たしかに筆者の目にも、みんな和気あいあいと楽しそうに過ごしているように見えた。

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