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[2024/08/08] 往復書簡-インドネシア映画縦横無尽 第86信:「悪夢と白昼夢」のもうひとつの魅力、底流にあるものとは?~『ジョコ・アンワルのナイトメア&デイドリーム』ネタバレ編~(横山裕一)

~『よりどりインドネシア』第171号(2024年8月8日発行)所収~

轟(とどろき)英明 様

先月、久しぶりに南スラウェシ州のマカッサルに行ってきました。日本ほどではないものの乾季のマカッサルは日中かなり暑く、歩き回ったこともあってクラクラしましたが、陽が沈むと気温も下がり、過ごしやすい夜を過ごせます。現地の友人に案内されたのが、マカッサルの人々にとっての夜の憩いの場所である、スンガイチェレカン地区でした。数百メートルの通り沿いには屋台がびっしりと並び、若者以外にも仕事帰りの人々や家族連れで賑わっています。

マカッサルの夜の賑わい
当地定番の飲み物「サラバ」とバナナの揚げ物

ここでの定番はサラバ(Sarabba)という名前の、ジンジャーにココナッツミルクとヤシ砂糖を混ぜた飲み物です。コクがあるうえ、喉ごしと共にジンジャーによってポッと暖まり、涼しく感じる夜には最適です。これにバナナと芋、それにスクン(Sukun)と呼ばれるパンノキの実の揚げ物がとても合い、心地良いひと夜を過ごせました。日本で言えばビヤホールに似た雰囲気かもしれませんが、違いはビアホールでは冷たいビールを飲むのに対して、ここでは温かい飲み物サラバを飲むことです。異常気象によっていずれ、気温が下がらない夜にならないよう、いつまでもサラバが心地よく飲める気候のままでいてもらいたいものだと感じました。

前回の私の書簡は諸事情により、轟さんの書簡が発行される前に書き上げたものだったため、前号を受けた話がなく失礼しました。『結婚生活の赤い点』(Noktah Merah Pernikahan)については、いずれもう一度観た上で書きたいと思います。映画は勿論、初見での印象も大切ですが、見直すと印象が大きく変わったり、新たな発見に気づくこともあるので、どう感じるか楽しみなところです。また轟さんの前回の書簡を読んで、2本の作品を含め家族ドラマ作品をあまり観ていないことに気づきました。機会があればまた観てみたいと思います。

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さて今回は何にするか迷いましたが、前号に引き続きネットフリックス・オリジナル作品の『ジョコ・アンワルのナイトメア&デイドリーム』(Joko Anwar’s Nightmares and Daydreams)について話したいと思います。前回は配信直後で日本でも鑑賞できるため、なるべくネタバレを避けて書いたのですが、これに伴って曖昧な表現にとどまる点が多く、自分自身としても消化不良感があったためです。今回は、配信から2ヵ月近く経つこともあり、あえて「ネタバレ編」として、ジョコ・アンワル監督が描いた世界の意味することを考えてみたいと思います。満を持しての未見である轟さんには再度申し訳ありませんが、いずれご覧になってから目を通していただければ幸いです。

『ジョコ・アンワルのナイトメア&デイドリーム』(引用:X,@NetfilxIDより)

改めて『ジョコ・アンワルのナイトメア&デイドリーム』について紹介すると、7エピソードから成るSFスリラーの連作です。一話ごとに物語がある程度完結していながら、悪魔のような存在が何者かを含めて、若干消化不良の残る部分は最終話終盤で全てが明らかにされます。同時に、実は各エピソードがリンクしたものであったことが分かります。改めてエピソードの一覧を記しておきます。

エピソード1:「老人ホーム」(Old House)、2015年ジャカルタ
エピソード2:「孤児」(The Orphan)、2024年ジャカルタ
エピソード3:「詩と苦痛」(Poems And Pain)、2022年ジャカルタ
エピソード4:「遭遇」(The Encounter)、1985年北ジャカルタ
エピソード5:「向こう側」(The Other Side)、1997年ジャカルタ
エピソード6:「催眠状態」(Hypnotized)、2022年ジャカルタ
エピソード7:「私書箱」(P.O.Box)、2024年ジャカルタ

まず、各エピソードについては、前回書いたようにそれぞれ設定年代の社会問題などが反映された物語が展開します。年代順に追うと、スハルト独裁政権下での開発のための社会的弱者の排除(エピソード4)から、民主化の台頭に抵抗する守旧派(エピソード5)、そして現代における老人介護問題(エピソード1)、コロナ禍に伴う失業問題(エピソード6)、深刻化する家庭内暴力(エピソード3)、貧困者層問題(エピソード2)などが描かれます。

轟さんもかつて指摘したように、ジョコ・アンワル監督はホラー映画『悪魔の奴隷』(Pengabdi Setan)でスハルト政権下での赤狩りを、また続編『同2』では1980年代に相次いだ、政権に不都合な人々の謎の誘拐・殺害事件の要素を盛り込んで、インドネシア現代史で起きた恐怖感の記憶をホラー映画として増幅させています。今作品でも各社会問題、またそれに派生する事象から恐怖の空間を作り出していて、同監督ならではの巧みな手法といえます。さらに各エピソードの年代の変遷を通して、各物語を貫く縦軸の物語が進められているのも巧みなところです。横軸である各エピソードでは主人公がそれぞれに不思議な困難に立ち向かう姿が描かれ、縦軸としてはこの不思議な事象を引き起こす悪魔のような存在と、それに対抗し、悪を滅ぼそうとする勢力の対立構図が浮かび上がっていきます。

この対立構図は何か、エピソード7の終盤に明かされる表現で言うと、悪魔のような存在は「異なる次元、地下都市アガルタに住み、地上の世界征服をたくらむ存在」です。アガルタとは19世紀から20世紀にかけてフランスの神秘思想家らによって言及されたオカルト伝説に登場する地下都市(国家)がモチーフとされているようです。東洋の何処かの地下にあって、人類よりも優れた科学文明や精神社会だけでなく、超能力など特殊能力を持つものが住むとされています。

『ジョコ・アンワルのナイトメア&デイドリーム』ではアガルタの住人が人間世界で金持ちや政府高官など権力を持つ者などに扮して紛れ込み、人々の精神をコントロールして支配を試みています。作品中にも短時間ではありますが、アガルタの都市空間が登場します。また、エピソード1、3、5、7に登場するアガルタは共通して口から超音波のようなものを発して、人間の精神コントロールや威嚇、攻撃する姿が描かれています。

そして、アガルタの世界征服を阻止しようと対抗する勢力が、同じくエピソード7の終盤に明かされます。彼らは自らを「アンティボディ」(抗体)と名乗り、アガルタを地上から排除し人類を救う存在だと説明しています。このアンティボディとは何なのかは正義の存在だという以外詳しくは説明されませんが、エピソード4で初めて、信念を持ち、直面した問題(奇妙な現象)に立ち向かう人間をピックアップして、アガルタに対抗するための超能力などを与えることで、アンティボディ集団を作り上げていることがわかります。最終話であるエピソード7で、各エピソードで選ばれたアンティボディのメンバーが勢揃いして、エピソード7の主人公である女性を助け、最後にはこの女性も仲間に入ります。

ここまでみると、ふと気づくことがあります。それはジョコ・アンワル監督が近年、制作会社ブミ・ランギット・エンターテイメントと手がけている、一連のスーパーヒーロー映画シリーズ3作品『グンダラ』(Gundala/ 2019年作品)、『スリ・アシィ』(Sri Asih/ 2022年作品)、『ヴァルゴ・アンド・ザ・スパークリングス』(Virgo and The Sparklings/ 2023年作品)と似ていることです。同シリーズでは、各作品で主人公がそれぞれ自らの不思議な能力に目覚め、社会に潜り込んだ悪魔と戦う姿が描かれますが、シリーズ内別作品のヒーローがピンポイントで登場し、手助けや相談する姿も描かれ、各ヒーローが連携していることが窺えます。全くのイコールとは言えないものの、『ジョコ・アンワルのナイトメア&デイドリーム』は、映画スーパーヒーローシリーズのドラマ版ともいえそうです。

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