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[2024/08/23] 往復書簡-インドネシア映画縦横無尽 第87信:『マツの木の家族』VS『未来の家』~おススメの家族ドラマはどちら?~(轟英明)

~『よりどりインドネシア』第172号(2024年8月23日発行)所収~

横山裕一様

ここ数日は死にそうなほど暑い日本ですが、ようやく「残暑お見舞い申し上げます」と言える程度には、暑さが和らいできました。インドネシアの多くの地域は現在乾季なので、ジャカルタでも暑い日が続いているのではないかと思いますが、さすがに日本列島ほどの連日猛暑日ではなさそうです。

年に1回程度は仕事でインドネシアへ戻れる日があるように、目下いろいろ試行錯誤していますが、どうも今年中は無理そうです。残念!

さて、今回はいつものような前振り抜きで始めます。前回途中で終わってしまった、てんこ盛り家族ドラマながら意外な面白さが充満している『未来の家』(Rumah Masa Depan、以下『未来』)の分析の続きとなります。

色んな要素をほどよい尺にコンパクトに詰め込んだ脚本、意外性のあるキャスティングとそこから生まれる化学反応、往年のテレビドラマのリメイクながら小道具や設定はしっかりアップデート、旧世代の価値観を楽観主義と共に継承、そして華人と非華人の間の心理的溝を埋めるクライマックス。これらが『未来』という一見小品ながら実は優れた作品の5つの美点です。

これらの美点を支える上で重要な役割を担っているのが、登場人物が話す言語です。この連載でたびたび指摘してきたように、登場人物がどの言語をどのように話すか、その選択は何かしら政治性を帯びます。とりわけ家族ドラマというジャンルではそれが顕著と言えなくもありません。観客や制作者の理想とする家族像が物語内で描かれること、これこそがこのジャンルの目的だからです。以下、各場面に即して具体的に指摘してみましょう。

『未来の家』の一場面。車中で一人祈るスルティ(ラウラ・バスキ)。imdb.com から引用。

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『未来』の主人公スクリとスルティの一家はジャカルタ首都圏の新興住宅地に住んでいるようですが、家族内で使用される言語は標準インドネシア語です。夫婦はもともとジャカルタ出身ではないので、土着のブタウィ語は使いませんし、二人の子どもたちも同様です。ジャカルタ口語もほとんど目立たず、まさに「標準的な家族」です。

舞台がスクリの故郷であるスンダ地方のスメダン周辺にあると思しきチブルム村に移ってからも、家族内の会話はもちろん、祖母ココムとの会話も、またそれ以外の村人たちや警察官との会話においても、使用されるのは標準インドネシア語が基本です。ココムは地方在住の高齢者にもかかわらず、スンダ語を交えず癖のない標準インドネシア語をスラスラと話します。スクリも自分の生まれ故郷に久しぶりに戻った割には、ほぼスンダ語を使いません。細かいところですが、リアリズムの観点からはこの二人がスンダ語を使わないのは若干不自然なようにも映ります。

とは言え、スンダ語が画面内から排除されているというわけではなく、主要登場人物以外、例えば警察官や食堂の女性店主らの地元民はスンダ語で生き生きと会話したりします。面白いのは、YouTuberシェフとして一応著名なスルティのファンである女性店主が、時折「ヘブン!」「ビューティフル!」などの英単語を交えて話している点です。

住んでいる場所が田舎か都会かに関係なく、メディアとりわけインターネットの影響が全国津々浦々に及んでいる現状は、『未来』のオリジナルであるテレビドラマが放映されていた80年代との大きな違いでしょう。同時に、流行に乗り遅れまいとする地方民の姿も浮き彫りにしています。

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ところで、『未来』の登場人物たちの台詞の中で、「何だか随分堅苦しいなあ」と私が感じた場面が二つありました。一つはスルティと教師であるネティが市場でばったり出くわして会話する場面、もう一つは入院していた現村長スウィトがココムの誤解を解くべく真相を語る場面です。

前者では、ネティがスクリの父ムサの生き方に影響されて小農たちのために奮闘していることをスルティに語り、スルティが「素晴らしいわ!」と称賛するのですが、何ともわざとらしい、歯の浮いたような会話です。ネティは全くもって「正しいこと」を言っているのですが、あまりに説明的すぎてウソっぽく感じられてしまうのですね。

後者の場面では、村長であるスウィトが以前ココムの家を訪問しながらもココムの誤解から彼がココムから叩かれることになってしまった顛末とその理由を述べるので、ある程度説明的になるのは当然なのですが、汲んでふくめるような、諭すような物言いです。スウィトがバカ息子の不始末の責任をとって辞職を表明することと合わせて、それほどウソっぽくはないものの、こちらでも「正しいこと」が滔々と話されていて、さながら演説のようです。

そして、この二つの場面で使用されるのは、当然というべきか、初学者にも聞き取りやすいほどのとてもわかりやすい標準インドネシア語です。「正しいこと」や「人としてあるべき姿」を明確に観客に伝えるには、普段話している自然体の言葉遣いではなく、堅苦しくてややウソっぽい感じがしないでもない、しかし折り目正しい教科書的な標準インドネシア語こそが相応しい。制作者のこの言語選択は極めて理に適っていると言えます。

さらに、建前や理想主義を語るのに選ばれる言語がジャカルタ口語やスンダ語ではなく標準インドネシア語であることは、スハルト政権によるメディア統制が厳格だった時期の国営放送局TVRIでオリジナルのテレビドラマが放映された事実を想起させます。ドラマにおいてジャカルタ口語や地方語の台詞が当然のこととして放映されている現在と異なり、当時は民放そのものが一局も存在せず、TVRIのみ。しかも日時限定でニュースやドラマが標準インドネシア語だけで放送されていました。リメイク版『未来』の上記二つの場面で、真っ当な正論だけれど何か退屈で堅苦しいインドネシア語が話されている様子は、建前ばかりのつまらない番組が多いことでは今でも定評のある(?)TVRIをつい連想したくなります。

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先述した、スクリやココムが母語であるスンダ語をほとんど話さない点をここで再検討してみましょう。若干不自然ではあっても、彼らが標準インドネシア語をキレイに話すという「正しさ」のほうを制作者は重視した。この解釈は一応成り立つと思います。真の理由は説話行為をスムーズに進めるためなのかもしれませんが。ともあれ、この選択は、「正しさ」を重視する家族ドラマというジャンルの規範にも沿うものです。

ただ、そうした規範だけに留まらず『未来』がさらに一歩進んでよく練られていると私が感じたのは、作品全体が楽観主義で覆われており、基本的にコミカルで明るい話としてコンパクトにまとまっている点でした。前回第85信でも触れたように、『未来』は理想主義を肯定しながらも教条的な話ではありません。先述の教科書的インドネシア語が使用される場面においては説教臭が若干あるものの、全体的には観客を笑わせ泣かせ共感させることに成功しています。てんこ盛りの内容でご都合主義的に物語が終わってもあまり気にならないのは、言語面含めて適度なバランスの良さが勝っているためでしょう。

基本的には標準インドネシア語で話が進行しながらも、適度に英単語やスンダ語が会話に入り混じることで物語にリアリティが付加され、一方でここぞとばかりに教科書的標準インドネシア語によって「正しさ」が強調される。この場合の「正しさ」が「道徳的正しさ」に留まらない、いわゆる「政治的な正しさ」とも等価に近いのは言うまでもありません。それでいて、メッセージの押しつけがましさはほとんど感じられない。これは一見簡単なようですが、実際には他のインドネシア映画ではなかなか見られないものです。

オリジナルのテレビドラマ版はYouTube上でも一部分しか視聴できないため断言はできないものの、スハルト政権期に国営テレビ局の目玉ドラマとして放映された以上、多かれ少なかれ「政治的正しさ」を喧伝する内容だったことは容易に想像がつきます。その意味で、リメイク版『未来』が各種小道具や人物設定などを現代風にアップデートしながら、イデオロギー臭の少ないスタイルで、使用言語を含めて「政治的正しさ」をしっかり継承しつつ、最終的には明るく話をきれいにまとめているのは大いに賞賛されるべきだと思います。

『未来の家』の一場面。妻役ラウラ・バスキと夫役フェディ・ヌリルの息の合った演技も見どころのひとつ。imdb.com から引用。

ところで、『未来』のダニエル・リフキ監督の作品を私が観るのは2013年の長編監督デビュー作『悲しまないで』(La Tahzan)に続いて今回が2作目です。『悲しまないで』は2010年代に流行となった海外ロケ作品のひとつで、何と日本ロケなのですが、例によって日本人ヤマダ役をインドネシア人のジョー・タスリムが演じているため、日本人観客としてはツッコミなしでは観ることのできない珍品です。それ以降もコンスタントに監督作品を発表してきましたが、フィルモグラフィーを振り返る限り、とりわけ優れた作品があったようには正直あまり思えません。

しかし、『未来』の全体的なバランスの良さは、一朝一夕で身につくものではおそらくなく、これまでの積み重ねの結果なのではないかと推測します。折を見て過去作を見るつもりです。彼の監督作品で既に横山さんが観たことのあるものがあり、且つ印象深い作品であるなら、次号以降紹介していただけると助かります。

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