[2023/06/23] いんどねしあ風土記(46):ジャワの車窓から ~ジャカルタ、西ジャワ州、中ジャワ州、ジョグジャカルタ~(横山裕一)
〜『よりどりインドネシア』第144号(2023年6月23日発行)所収〜
たまにはジャワの風景を楽しみながらジョグジャカルタへ行こうと、日曜日の朝、列車に乗ることにした。近年インドネシアの長距離鉄道も整備が進み、ハイクラスの車両には座席が航空機のビジネスクラスのような高級なものもある。今回は元来の列車ならではの雰囲気を味わうため敢えて一般のエコノミークラスを選ぶ。運賃は30万ルピア(3,000円弱)と航空運賃の5分の1(当時料金)。乗車時間は8時間半だが安価でゆったりと車窓から眺めを堪能する列車紀行。
パサールスネン駅から
2023年3月上旬、列車の出発駅、パサールスネン駅へ行くと、駅舎が新しくなっていて驚く。前庭が広く整備されたうえ、オランダ時代からの駅舎を包むようにガラス張りの上屋が設けられていた。これにより狭い旧駅舎外でも雨や直射日光を防いで列車を待つスペースが確保でき、伝統と近代的な景観、機能を併せ持った駅舎に変身している。
事前に予約したチケットをプリントアウトするため発券機の列に並ぶ。すると前に並んでいた50代とみられる男性がくるりと振り返って順番を譲ろうとしてくれた。発券に並ぶ人の列も長くなく時間に余裕もあったので、礼を言いながら大丈夫と遠慮したが、「どうぞどうぞ」と自ら後ろに並び直す。改めて礼を言うと、男性は笑顔でこう話した。
「あすのチケットで私は急ぎませんから」
聞くと、翌日の仕事の出張でスラバヤまで行くチケットを事前に発券しに来たのだという。その後発券を終えると、さらに男性はチケットをスマートフォンのカメラで撮影するようアドバイスしてくれた。
「これでチケットを無くしても安心です。紛失する人が多いですから」
度重なる男性の親切心に謝意を伝える。別れ際に男性は「おはようございます」と日本語で挨拶してくれた。インドネシア語では朝の別れ際でも「パギ」(Pagi:おはよう)と挨拶するが、それと同じように使ってくれたのだろう。
出発前から心温まり、今後の良い旅を予感しながら改札へ。若い女性の検札員にチケットを渡す。提示を求められた身分証と新型コロナのワクチン接種証明書を探していると、今度はその検札員が日本語で「頑張ってください」とにっこり。こちらも日本語で「ありがとう」と答える。
今回乗る列車は中央ジャカルタにあるパサールスネン駅発、東ジャワ州スラバヤ行きの「ガヤ・バル・マラム・スラタン」号で30駅を13時間半で結ぶ。目的地は途中のジョグジャカルタであるため、18駅を巡る8時間半の旅だ。出発時間の15分前に列車が1番ホームに入線する。ディーゼル機関車を先頭に食堂車と客車の8両編成。日曜日ということもあり、大勢の客が一斉に乗車する。
エコノミー車両の座席は2人ずつが向き合って座る。背もたれは固定のいわゆる直角椅子だ。テーブルの下には電源用コンセントもあり、携帯電話を使用し続けても心配はない。向かい側の席に男性が来て、網棚に荷物を乗せて座るとおもむろに腕を組んで目をつぶる。エコノミーとはいえ冷房は完備しているので、ゆったりと眠りたくなる気持ちは良くわかる。午前10時55分、列車はゆっくりとパサールスネン駅を出発した。
西ジャワ州:ジャワ島北岸沿いを東へ
列車は東ジャカルタにある基幹駅、ジャティヌガラ駅を過ぎると一気に進路を東へと向ける。ジャカルタを出てブカシ、チカランと西ジャワ州に入る。チカラン駅まではまだ首都圏鉄道の線路を共有しているため、時折通勤電車とすれ違う。チカラン駅を過ぎると列車は一気にスピードを上げ始める。線路脇に見えた住宅などもまばらになり、やがて果てしなく続くのではないかと思えるほどの田園風景が広がる。稲の緑色が目に染みる。
実はチケットを予約する際、誤って進行方向と逆向きの座席をとってしまったため、通路を挟んだ反対側の座席が4人分空席だったのをいいことに予約客が乗るまでと移動して座っていた。しばらくしてふと気づくと、途中駅から乗車したのだろう、自分の本来の座席に初老の男性が座っていた。
もしかして現在座っている座席の客かと考えていると目が合う。若干離れていたこともあり、腰を浮かせ座席を指差しながら「ここですか?」とゼスチャーで尋ねると、男性は微笑みながら軽く頷いて「どうぞそのまま」と言わんばかりに右掌を差し出し、両手を合わせてくれた。申し訳ないことをしたと思いながらも好意に甘えることにし、こちらも両手を合わせて会釈。次の駅でその男性は席を立った。改めて会釈すると男性は再び微笑みながら先ほどと同じゼスチャーをしてくれながら下車していった。
時計を見ると正午。時間を測ったかのように、車内販売のカートが来る。ナシゴレン(焼き飯)弁当を購入。3万5,000ルピア(300円余り)と車内価格にしては安価だ。食べながらふとこの列車に食堂車があったことを思い出す。食堂車は日本ではすでにほとんどなくなってしまったため、懐かしい響きがする。かつて急な出張で乗った新幹線が満席の際、食堂車でゆっくりと食事とコーヒーで過ごしたことを思い出す。インドネシアではまだ定番の食堂車には、調理場の他にゆったりと4つのテーブルが並んでいた。次の機会にはここで食事しようと考えながら、郷愁の思いでカメラのシャッターを押す。
ここで列車はインドラマユのハウルグリス駅に停車する。余り聞きなれない語感の地名だと思い調べると、ハウルグリス(Haurgeulis)とは古代スンダ語で、「ハウル」は「竹」、「グリス」は「美しい」という意味を持つ。自生する竹林が多い地域で、古来より家屋などに利用される建材供給地だったことに地名の由来を持つという。ここまで調べたところで列車が再び動き出す。車窓からは残念ながら竹林を確認できなかった。いつか訪れたいものだ。
次の駅はインドラマユの中心駅、ジャティバラン駅だ。インドラマユはバティック(ろうけつ染)など伝統文化とともに大衆音楽の盛んな地域だ。数年前に来た際、駅前の細い通りの両脇に広がる伝統市場を思い出す。そこの屋台で食べた牛肉スープの味が忘れられない。思わず2杯食べたほどだった。当時小雨の降るなか、ぬかるむ道を歩いたが、駅前通りはすでに舗装されただろうか。
またバティック工房地区では、道路脇にゴザを敷いて「ろうけつ」の絵付作業をする珍しい光景にも出くわした。驚いたのはモチーフに日本のひらがな文字を扱ったバティックもあったことだ。「見た目面白いから」ということだったが、ひらがな文字の丸みがバティック模様にマッチしていたためかもしれない。
再び牛肉スープを味わいたいところだが、停車時間はそれほど長くもなく、列車は再び田園風景を抜けて西ジャワ州東端にある都市、チルボンへ。チルボンから先は列車では初めての経路のため期待が高まる。左手に火力発電所などを見送り小一時間も行くと、中ジャワ州に入る。最初の街、ブレベスを過ぎると列車はこれまでのジャワ島北岸沿いから一気に右に進路を変えて南下、ジャワ島を縦断して南海岸へ向けて走る。午後3時過ぎ、全行程のほぼ中間地点でもある。
中ジャワ州:山あいを抜け南へ
列車が南下するにつれて車窓の両側には山が見え始める。右側の車窓にはクンバン山(標高1,218m)の巨大な屏風のような山塊が徐々に近づいてくる。左側にはスラメット山(標高3,428m)へと続く山麓が迫り出し始める。地図で見ると、この南下ルートは東西の山並に挟まれた渓谷を縫うように走っている。入口にあたるプルプック駅の標高は32メートルだが、リンガプラ駅、ブミアユ駅と渓谷に入るにつれ標高156メートル、236メートルと一気に高くなっていく。
山あいに入ってから座席の斜向かいに座る男性とふと目が合い、これがきっかけで会話が始まった。彼の名前はアフマドさんで、単身で約20年間、西ジャカルタで運転手をしているという。2週間後に始まるイスラム教の断食月を前に先祖の墓参りをするため、クトアルジョにある実家に帰るところだった。クトアルジョは中ジャワ州南岸にある街でジョグジャカルタの西方にある街で、アフマドさんの実家には両親をはじめ妻と中学一年生の娘が待っているという。仕事上、家族と会えるのは数ヵ月に一度。携帯電話のショートメールで妻から連絡があったところだとアフマドさんは嬉しそうに画面を覗き込んでいた。
左側の車窓には今回の列車旅の目的の一つ、スラメット山が見えてきた。スラメット山は標高3,428メートルで、ジャワ島では東ジャワ州のスメル山(3,676m)に次いで2番目に高い山である(全国では11番目)。2009年、2014年と噴火したように活火山であるとともに、ジャワ島で最も降雨量の多い地域の一つとしても有名だ。
ジャワ島で標高3,000メートルを超える山は12もあり、特徴は日本の富士山のように単独で聳える山が多く、景観を楽しめるところだ。ジャカルタからスラバヤ、バリ方面などジャワ島を縦断する航路の飛行機に乗ると、雲が無い日はこれらの山が点在しているパノラマ風景を望むことができる。
車窓から見たスラメット山はやはり雄大で、いかつい稜線や山容は男っぽさを感じさせる印象だった。山名の由来は、活火山ではあっても常に噴火が小規模であることから、ジャワ語で「無事」を意味するスラメット(Selamet)と名付けられたといわれる。しかし、もし大噴火が起きた際は、ジャワ島を二分するほどの大災害に至るだろうと、地元住民から信じられている。残念ながら雨季の名残の雲が北半分を覆っていたため、全体の姿は現れなかった。列車はこの後、スラメット山の南側へ回り込むルートであるため、それに期待する。
約1時間の山あいルートを終えて、スラメット山麓の南側に広がる街、プルウォクルトに至る。期待していたスラメット山の勇姿はすでに雨雲ですっぽりと覆われてしまっていた。プルウォクルトはバニュマス県の県都で2000年以降は教育都市として整備が進んでいるという。人口約25万人と小さな都市ではあるが、ジャワ島北岸のチルボン以降、山間を通ってきただけに久しぶりに街並みを見る思いがする。
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