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[2023/05/07] スラウェシ市民通信(2):マンダール川の水汲み屋(2007年2月翻訳)(ムハマド・リドゥワン・アリムディン/訳:松井和久)

〜『よりどりインドネシア』第141号(2023年5月7日発行)所収〜

その女たちは毎日、夜明け前の2時半から活動を開始する。何十もの空のポリタンクを担いで3~4キロの道のりを歩き、マンダール川(Sungai Mandar)(訳注1)の海水があまり入ってこない川辺を目指す。朝の冷たい空気に耐え、体をずぶ濡れにしながら、上流へ向かう。彼女たちのしなやかな手は疲れを知らず、持参した何十ものポリタンクに次々と淡水を入れていく。

(訳注1)川の名前でもある「マンダール」とは、スラウェシ島南西部一帯の、とくに海岸部に居住するエスニック・グループの名前である。マンダール族はマンダール語を使用する。海洋術に長けているとされ、識者のなかには、海洋民族として名高いブギス・マカッサル族のかなりの部分は実はマンダール族ではないかとの見方もある。

住民の使う水は水道公社の水に頼るのではなく、この村の女性たちの頑張りに依っているのである。

水の入ったポリタンクの重みで体をマンダール川に浸けながら、塩辛い水の川の蛇行に沿って、河口へと向かう。夜明け前、彼女らは淡水を汲み、早朝にそれを集落へ運び、昼、夕方、夜まで住民の家々へ届けるのである。

ポリタンクを川に浸けながら加工へ向かう女性(筆者撮影)

水道公社はあったのに・・・

約15年前の1990年代初め、西スラウェシ州ティナンブン(Tinambung)郡(訳注2)にも水道公社ができた。「自分たちもきれいな水の設備が整って、近代化の恩恵を受けられる」と住民の目には映った。それ以前から、住民はマンダール川を水源として大切にし、川で水浴をしたり、水を汲んだりしてきた。

(訳注2)西スラウェシ州は2004年10月に南スラウェシ州から分立してできた新しい州で、州都はマムジュ。ティナンブン郡は同州のポレワリ・マンダール県にあるが、ティナンブン郡を中心に、同県から分立して「バラニパ県」を新設しようとする動きがある。なお、2007年1月のアダムエア機が消息不明になった事故では、この地域が捜査にあたって重要視された。

マンダール川の河口から約10キロ離れたレンバン・レンバン村に、水道公社の水源が設けられている。たしかに水源はマンダール川からだが、ろ過している。最初はよかったのだが、何年か経つにつれて、家庭に供給される水はとても水道公社の水とは言いがたくなった。水が塩辛いのだ。

水道公社ができる前もできた後も、ティナンブン郡の郡庁所在地の住民の多くは、ワイ・サウッ(wai sauq)という飲み水用の淡水を用意する人々の仕事に頼ってきた。ワイ・サウッとはマンダール語で「汲まれた水」という意味である。

マンダール川河口付近(海から1~2キロ上流)の水質は悪く、泥を沈殿させるためにミョウバンを加え、殺菌のために塩素を使わなければ飲用には適さない。

水汲み屋の仕事

ワイ・サウッはマンダール川の河口から3~4キロ上ったレコパディス村の川沿いで採取する。水源はといえば、川砂の上に掘った小さな井戸である。

井戸の直径は約50センチメートル、深さは60センチメートルである。パッサウッ・ワイ(passauq wai)と呼ばれる水汲み屋たちは、ここに着くと、毎回その井戸を作る。そして、作った井戸が壊れないように、彼らはプラスチック製のドラム缶の破片を活用する。プラスチック製のドラム缶の底には目の細かい網が取り付けられ、砂が入るのを防いでいる。

井戸を作る様子(筆者撮影)
完成した井戸と多数のポリタンク(筆者撮影)

しばらく待って、濁っていた水が澄んでくると、ようやく水汲みの仕事が始まる。「ビモリ」(Bimoli)(訳注3)のポリタンクへ水を汲むために使われる主な道具は、ピサウッ(pisauq)と呼ばれるプラスチック製のバケツと、チャロロッ(caloloq)と呼ばれるロートのような上部が幅広の管のような器具である。

(訳注3)インドネシアの食用油のトップ・ブランドの一つ。原料はパーム油である。食用油を使い終わった後のポリタンクが水汲み用に流用されている。

ピサウッやチャロロッを使ってポリタンクへ水を汲む(筆者撮影)

ポリタンクに水を汲む作業は、持ってきた何十ものポリタンクすべてに汲み終わるまで、休むことなく続く。水を汲み終えたポリタンクの口にはプラスチックのふたをし、ゴムで縛る。その後、ポリタンクは川へ運ばれ、紐で括って他のポリタンクと一緒に束ねられる。束ねられたポリタンクは小舟(sampang)などで運ばれていく。

作業が終わると、水汲み屋は、冷たい水の中を川の流れに身を任せ、水面下で揺れるポリタンクを運びながら、自分の集落へと戻っていく。

集落に着くと、水汲み屋は水の入ったポリタンクを家々に運んでいき、各家に水が届けられる。しかし、水汲み屋の仕事はこれで終わりではない。あらかじめ注文が入っていれば、注文した家へポリタンクを運ばなければならない。

たくさんのポリタンクを運ぶために、特別に工夫された手押し車やバイクを使う者もいる。とくに、遠く離れた客のところへポリタンクを運ぶためには、特製のバイクが使われる。

ティナンブン市場付近でのポリタンク1個分の水の値段は、10リッター入りで500ルピア(約7円)、5リッター入りで250ルピア(約3~4円)である。この値段には、手押し車などでの運搬料も含まれている。

水汲み屋のカマッ・アンビコ一家

水汲み屋を営む家族の一つに、マンダール川沿いに住むカマッ・アンビコ氏の家族がいる。以前、一家の主であるカマッ・アンビコ氏は漁師だった。年をとったので、もう漁には出なくなったが、長男だけは今も漁に出かけている。

妻、婿・嫁、子どもたちに至るまで、長男を除いた家族全員が淡水を用意するこの仕事に関わっている。毎日、アウトリガー(訳注4)の付いた小舟にポリタンクをいっぱい載せて、カマッ・アンビコ氏は妻子をレコパディス村へ連れて行く。婿の小舟のほうがもう少し近代的で、小さいエンジンが付いている。カマッ・アンビコ氏が出かけられないときにも、妻や子どもたちが自分たちで小舟を漕いで、淡水を取る場所へ出かけていく。

(訳注4)舟の脇に張り出された支柱。マンダール地方のアウトリガーは一般に小舟の両脇に付けられているが、場所によって片側だけに付いているものもある。

注文があるときは、カマッ・アンビコ氏の娘たちが水の運び屋としての役目を果たす。水の注文者と運び屋とは昔からのずっと親しい間柄である。注文者は、家の前にポリタンクが到着すると、それを持ってすぐさま家へ上り(ティナンブンの家は一般に高床式である)、台所へ運ぶ。ポリタンクの水はすぐに、素焼きの水桶であるグシ(gusi)やプラスチック製のドラム缶に入れられる。飲み水や調理用に使う場合、ポリタンク10個でだいたい2~3日分の水の量になる。

カマッ・アンビコ一家のようなサービスを提供する家族は多い。とくにマンダール川沿いから遠くないところでは各村、各集落にそうした家族がいる。水汲み場へ小舟を使って行き来する者もあれば、徒歩で水汲み場へ向かい、帰りはずぶ濡れになって水を運ぶ者もいる。

アウトリガーの付いた小舟にポリタンクを載せる(筆者撮影)

塩分濃度の高い水

乾季になると、水汲み屋の数が急に増える。マンダール川の河口付近の塩分濃度がとても高いからである。とくに満潮のときには一層そうなのだが、海水が容易に川の上流へ向けて入り込むのである。

塩分濃度が高いために、川から直接水道管をひいている家では、水浴や洗濯に塩水を使わざるを得なくなる。実際、かつて水道公社が満足できるような水供給をしなくなった後、たくさんの家庭が独自に1~2台の揚水ポンプを設置して、水源から自分の家まで数十メートルの水道管をひいたのである。水道管の端にはフィルターが付けられ、それが川面に突っ込まれている。このため、マンダール川沿いを歩くと、何百もの水道管が堀の上から川面に差し込まれているという、実に面白い光景を目にすることができる。

このため、水道管にせよ井戸にせよ、水源を持っているにもかかわらず、ティナンブン郡およびその周辺のほぼすべての家庭では、飲料水については、水汲み屋の世話になっているといってよい。他方、川から直接ひいたり井戸から得たりした水は洗濯用や水浴用に使う。ある調査によると、ティナンブンの地下水は飲み水に適さないとのことであり、水汲み屋への依存が高くなるのはもっともな話である。

水面に浮かぶポリタンク(筆者撮影)

水汲み屋 ― 自立した住民の対応

こうした「手作業」で毎日いったい何立方メートルの水が用意されるのか、想像してみればよい。水汲みの仕事には勤勉さが求められ、勤務時間など決まっていない。しかし、ずぶ濡れになるけれども、実はなかなか実入りのいい仕事なのである。この仕事が水汲み屋やその家族に利益をもたらす。一方、何百もの家、何千人もの住民にとって水はまさしく必需品だ。これは格好のビジネス・チャンスではないか。

考えてみるに、住民が自立する能力を持っているならば、政府の役割は最小限で済むはずである。この点で、ティナンブン郡の住民のために水汲み屋が水を提供するという話は、なかなか興味深い事例である。浄水供給という点で、国家あるいは政府の役割はないに等しいにもかかわらず、住民は、水という生存に不可欠な基本必需品の不足を嘆いてはいない。たとえ、それが乾季であったとしても、である。

(Muhammad Ridwan Alimudin/マンダール文化研究家)

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