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マシュマロガチ回答:「自我」や「心」のなんてないほうがいいのでは?
なぜ人間には自我や心があるのか? ないほうが過ごしやすいのではないか?
そんな、人生の不条理を問いただすようなご質問をいただきました。
松井さん質問です。人間にはどうして自我や心があると思いますか?生き物が生きたり死んだり繁殖するのに、あんまり要らない気がします。
理由エピソード01。以前カンボジアでちょっと暮らした時、走り去るレクサスを睨む、ほったて小屋に住む世界を恨むような目をした親子がいました。彼らがめっちゃ努力しても、多分レクサスには乗れません。そういう人も世の中にいるのだなと思いつつ、私は目的地へ向かいました。
理由エピソード02。以前国立大学で勤務した事があります。当たり前にPh.D.を持つ、華々しい経歴の上司たち。私は広報で、一年間自分の力を発揮して成果も出し、プレゼンしました。ボスの教授に言われました。「それでも君たちに専門性はないし、他の部署の広報と比べて低賃金でも、他所はヨソ、ウチはウチです。あ、化学のシニアの先生を君たちの上司につけようか」。転職しました。
挙げたような事、世の中にめっちゃあるでしょう。自分の力では立場が変わらない。また立場が違う人間を理解することはできない。人間の分断、甚だしいです。
そうやって解り合わなくても、現状、世界は回っています。格差があるのはしょうがない。解り合う必要もない。じゃあなんで自我や心はあるの?むしろ無い方がやり易くない?それとも自身が置かれた場所で相対的でなく、絶対的な幸せを感じるために用意されているの?いやそもそも「幸せ」って世界や生き物のサイクルを回すのに不要じゃない?
松井さんは経験豊富かつ、色んな人間に会った事あるランキングが上位の人だと思うので、松井さんならではの解釈があったら教えてください。
質問をまとめてみますね。
人間にはなぜ自我や心があるのか? 生き物の生死にや繁殖には必要ないのでは?
人間は、立場が違う人のことなど理解できない。世界は分断し、分かり合えず、格差も解消しない。でも、それでも地球は無事に回っている。
ならば、自我や心などないほうがスムーズでは?
「幸せ」なんて世界や生物のサイクルを回すのに不要では?
そして、このような疑問を抱くきっかけとなった、2つのエピソードが紹介されています。
貧しい国で生まれたら、どんなに努力してもレクサスには乗れない。
国立大学の広報で自分の力を発揮して成果も出し、プレゼンもした。しかし、専門性がないために低賃金のままで、キャリアパスはなかった。
はい。ごもっともな疑問です。僕も同じようなことを考えたことがあります。
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