
被害者ムーブの快感
最近、立て続けに面白い記事を2本読みました。
1本目は、野本響子さんの「誰かの、何かののせいにして生きるのを、そろそろやめてみる」という記事です。
日本ってどういうわけか、自分を被害者に仕立てたストーリーが蔓延しているんですね。これは僕も強く同感です。
しかし、発展途上国で比較的格差の大きなマレーシアよりも、豊かな日本の方に運の悪い話が溢れすぎていて。
親がちゃに外れた
いじめられた
氷河期世代だった
貧乏な家庭だった
会社がブラックだった
夫が暴力を振るった
パワハラをされた
子どもに病気があった
女性として苦労した
みたいな、ナラティブを語る人が多いなーと肌感で感じてしまうのです。
日本はこういうナラティブが本当に多いです。ここ30年くらいなのかよくわかりませんが、「アダルトチルドレン」という言葉がブームになったくらいから、すっかり市民権を得た気がします。
自分を被害者に仕立て上げるって、本当に快適です。「かわいそうな自分」に酔ってさえいれば、自分がどんなにクソでもダメでも絶対に自分のせいにならない、ある意味最強のムーブだからです。なので、一度この快感を知ってしまうと、おいそれと抜け出せなくなります。
もうひとつ印象に残ったのは、こちらの猫山課長の記事です。
日本人の多くは会社に「働きがい」を求めているのに、働きがいを享受している人数の割合とても低いというパラドックスです。
僕はこの「私の被害者で一切は私の責任ではない」と「会社に『働きがい』を求める受け身な姿勢」は、両方とも同じ根の問題だと思うのですね。
※このマガジンでは、読者の皆さまの役に立つ視点の提供を心掛け、シリコンバレー、フィリピン、日本の3拠点で生活や仕事をする中で得た気づきを書き綴っています。この記事は単品で300円ですが、月1000円で定期購読すると、1ヶ月20本くらい読むことができます。
ここから先は
¥ 300
もしこの記事を気に入っていただけましたら、サポートしていただけると嬉しいです!