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SNSが僕らを監視する社会を、どう生きればいいのか?

かつて大人たちは若者を常日頃叱っていました。

僕が子供の頃は、大人たちが何やらとてつもなく怖かったものです。悪ふざけしているとすぐに大人に叱られました。親も学校の先生もそうでしたし、なんかその辺のおっちゃんやおばちゃん達にもよく叱られたものです。言葉で叱るくらいならいいのですが、見知らぬ大人によくわからぬ理由で殴られることもありました。そんなわけで、僕らは大人達をむちゃくちゃ恐れていたものです。

ところが時代とともに、大人たちが物分りが良くなってなってきました。若者たちの行動に理解を示すようになり、かつてのように頭ごなしに自分たちの価値観を押し付けている大人はもうほとんどいなくなりました。これで若者側も反発する理由を失ってしまったのか、校内暴力の発生件数も僕が中学生だった頃と比べると信じられないくらい下がっています。

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平成23年版 犯罪白書より

大人たちに代わって叱る存在

ところが大人たちの物分りが良くなる一方で、新たに物分りが悪く、一方的な思い込みとしか思えない価値観をグイグイを押し付けてくる人々があたらに出現しました。

そう、SNSの住人たちです。

何かをやらかしたが最後、自分たちの価値観だけによって一方的に断罪され、凄まじいバッシングが延々と浴びせられます。もしも若さ故に愚かなことをしてしまってネットに痕跡が残ってしまったりしたら、未来永劫困るくらいのダメージを浴びせ続けられます。そして罪滅ぼしや再生のチャンスを当たられることは永久にありません。

ですから、ある意味昔の大人に殴られるよりも、今のSNSの方がよほど恐ろしい存在なのです。

しかし、時代は個性を求めています。みんなと同じであることには、もはや価値がないからです。しかし、個性的であることと人々の逆鱗に触れる距離は、考えているよりもずっと近いのが現実です。ほんのちょっとした価値観の違いにより、一方的に断罪されてバッシングを浴びる可能性は小さくありません。一体このあたりの折り合いをどうつけていけばいいのか、今日はそんなあたりを考えてみたいと思います。

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