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この終わりのなき日常に、どうやって「意味」を見出せばいいのだろうか?
「なんのために学校に通っているのかわからない」
「なんのために毎日会社に行くのかわからない」
こうした思いは、どんな人でも人生のどこかで一度は抱くのではないかと思います。時として人生は、なんの目的もない、終わりなき日常の繰り返しのように思えるものです。ただ漠然と息をして生きているだけで、自分の存在には何も意味がないではないか? そんなふうに感じたことがある人はきっと少なくないでしょう。かと言って死ぬわけにもいかないので、ただ仕方なく生きている感じとでも言えばいいのでしょうか?
そしてこの無意味な日常は、ただひたすら容赦無く繰り返されるのです。なんの目的もなくただ死ぬのを待っているような感じがして、実に虚しいものです。
「人生が無意味なはずがない。何かを変えなければいけない」と思いつつも、一体何を変えるとこのトラップから抜け出せるのかわからないのは、本当に苦しいですよね。
僕も20代の頃に、こうした思いに強く悩まされました。なぜ人は毎日毎日、なんの目的もなく同じことを繰り返すことができるのか、周囲の人を見回して不思議に感じたものです。あのくたびれた顔をした課長は、どうやってこんなつまらない生活を20年も続けているのだろうか? あの駅の売店のおばちゃんはどうやってこの冴えない生活を毎日続けられるのだろうか? 不遜にもそんなことが不思議に感じていたものです。
そしてこの思いはあまりに強く、人生の意味を見つけ出さないことにはこのまま生きていけないような気さえしたものです。そして答えを見つけたくて、当時大量の本を読み漁りました。何を思ったか、しばらく教会にも通っていたこともあります。
やがて僕は僕なりの答えを見つけてそのトラップから抜け出すことができたのですが、今日はふとそんな若き日のことを思い出したので、「人生の意味」について書いてみたいと思います。
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