団地猫、やはり野良猫
ちょっとつまらん話だけれど
昨日はちょっとした事件があった。
ひと月とちょっと、団地猫を保護してケアしてきた。少しづつ少しづつだけど人に馴染んできて、この頃はご飯をねだったり甘えたりもするようになってきた。診察の時も『野良猫とは思えない程大人しい子だ』と獣医師が驚くことも少なくない。
けれど団地猫はやはり野良猫で、たかがひと月ぐらいで家猫になることは難しい。この辺は燃えるゴミの収集が週に三度ある。ゴミは頻繁に片付ける主義なので、今日も片付けた袋の最後に生ゴミをいれ、不用意にキッチン前に置いていた。ちょっと目を離した隙に、猫は袋をやぶって中をまさぐっていた。いままで口の開いたおやつの袋を欲しがったことはあるが、こんな大胆な行動は初めて。どうしてだろうと良く考えたら、この猫は野良猫だったと思い直す。
食べることへの執念
普段の様子からはもう家猫のように静かに過ごしているので、野良猫だということを忘れてしまっていたが、やはり食にかける執着というのは凄まじいものがある。
団地内に餌やりの住人が複数いても、雨の日などは餌にありつけないことも多いだろうし、何匹もいる猫たちを満足させるほど用意しているとは到底思えない。猫同士の縄張りもあるだろうから餌場以外のところで、食べるものを見つけなくてはならないことも多かっただろう。きっとゴミの収集日に人目を盗んでは捨てられたゴミ袋の中を開けていたのだろう、破れた袋をさらに袋に入れても、近づいて中を開けようとする。本当に執念としか言えない、胸が苦しくなるような仕草だ。
毎日朝晩十分な餌をあげても、きっとしばらくは「食べられる時に多く食べる」ことは止まらないだろう。六歳まで孤独に生きてきて、ひと月ばかり安心して餌をたべられる環境ができたとて、そう簡単に変われたりするわけがない。時間はかかるだろうし付き合う側も根気も必要だ。もう絶対に野良猫には戻さないし、手元から放す時も新しい里親さんには、そういうことを汲んでくれる人を探すから、これからは今まで苦労した分安心して暮らせばいい。
餌やりさんは所詮他人ゴト
ここの団地に限らず、猫に餌をやる老人は少なくない。老人だけでなく若い女性やサラリーマンを見かけたこともある。過去うちの父親も田舎の自宅の庭にくる猫に餌を与えていた。そういう人たちは『野良猫は自由に生きているのが一番の幸せだ』という。野良猫は自由だろうか?いや自由ではない、不自由ではないか。餌になる野生の小動物や昆虫に恵まれた土地に住むわけでもなく、天候に左右されず餌を定期的に平等にくれる人がいるわけでもない。多くの餌やりは気まぐれだし不潔だ。病気になっても面倒を見てくれる人は少数、夏の炎天下や冬の寒さ、虐待目的の捕獲や車輌に轢かれる危険。好きに歩き回れるだけで『自由』とは程遠いではないか。猫と人間の関係を遡れば猫は「安心を保障された自由」を好んでいるはず。
写真は同じ団地の離れた棟の一角だ。親子猫らしい猫が三匹いる。この付近の住人たちが共同で餌やりをしている。餌やりの中心になっている人はまるで自身の庭のように共同スペース(というより芝生の空き地)に植栽をしたり、藤棚を作ったりしている、呆れるばかりの自己中心主義。駐輪場は汚れ虫も湧いている。こういう場所が広い団地の敷地内に何ヵ所かある。オレは餌やりが悪いと言ってるわけでないし、野良猫を否定しているのではない。地域猫という耳障りのいい言葉で餌をやるならば、避妊去勢はもちろん、病気の時や亡骸の埋葬まできちんとやってほしい、清潔にして他の住人が目を潜めるような状態にしてほしくないだけだ。ひとりでできなければ猫好きな住人同士のコミュニティで保護するべきと思うだけだ。
そして傷のケア
つまらない話を長々としてしまった。さて傷のケアだ。昨夜はとても落ち着いてデスクまで抱かれて移動し、大人しかったので消毒と軟膏の塗布は楽だった。いやがらず触らせるし、猫の方も慣れたものだ。下の写真を見てもらえばわかるが、瘡蓋はほとんど治り赤みも取れている。毛が抜けているから痛々しく見えるけれど、ずいぶんと良くなっているし新しく傷つけたところは見当たらない。毛が抜けたところは火傷の跡のようになってしまっているが、産毛のように少しづつ生えてきている部分もあるからいずれ毛も生えるだろう……。
宜しければサポートの程よろしくお願い申し上げます。いただいたサポートは全て団地猫の病院代・餌代、里親探しの費用に使用させていただきます。