【旅行記】エジプトでバスに置き去りにされた話
※本作は岸田奈美様主催「キナリ杯」参加作品です。
مطار
もう何回目になるか、私はこの言葉を尻上がりの語尾で、運転席に向けて発した。
助手席に座る強面の男が振り向くと、うんざりした顔で私の知らない言葉を捲し立てる。
隣席の白いひげをたくわえたおじさんが、妙にニコニコしている。
目だけを出して顔を布で覆った女性が、不思議そうな眼差しで見つめる。
車検など知るかとばかりにボロボロで小汚いバンはギュウギュウのすし詰めで、15人は乗っていた。
私は自分に言い聞かせるように、そして頭からその音が吹っ飛んでしまわないように、再びつぶやいた。
مطار
アルファベットで表記すると"Matar"。
近い音をカタカナで表記すると「マタール」。
アラビア語で「空港」を意味するその単語が、私の命綱だった。
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「言葉とはなにか?」
高校3年のころ、予備校の講師が最初の授業で重々しく問うた。いきなりの哲学的問いに私たちが答えられずにいると、彼は続けてこう言った。
「言葉とは、意識と思考の道具である」
諸説あるが、言葉は歌から生まれたと言われている(*)。始めは単なる音の組み合わせだったものに、意味と法則が加わる。
人間は言葉によって意識を深め、思考を周囲に伝えてきた。表現は時代を経るごとに多様に、複雑になった。
しかし時折、何の衒いも、捻りもないシンプルな言葉こそがモノをいう時がある。
フランス語で、「愛してる」は"Je t'aime"、「とても」を意味する言葉は"beaucoup"だ。ならば愛を強調したいなら"Je t'aime beaucoup"と言えばよいのかというと、そうではない。
"Je t'aime"だけでよいのだ。「真の愛には余計な言葉はいらない」と、大学の頃読んだ仏単語の本に書いてあった。
同様にその時私にできたことは、シンプルな言葉を繰り返し投げかけるだけだった。
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2012年春。私はエジプトの首都、カイロにいた。
大学でアラビア語を専攻する友人がよりにもよって前年に勃発した「アラブの春」直後のカイロに留学していたので、面白がって訪ねていたのである。
友人と、そのルームメイトと3人でカイロをぶらついてハトの丸焼きをかじり、ギザのピラミッドでは動乱直後で激減した観光客を狙ってひっきりなしに迫ってくるラクダ乗りを躱し、地中海沿いの港町アレキサンドリアではホテルのおじさんに挨拶と称してディープな接吻をかまされそうになった。
ハトの丸焼き
あっという間に時は経ち、日本に向けて旅立つ日がやってきた。起床は6時過ぎ。当時エジプトから日本への直行便はなかったため、トルコのイスタンブールを経由して帰ることになっていた。
友人はその日も朝から語学学校に行かなければならないからと、最寄りの地下鉄駅までしか私を送ってくれなかった。日本から味噌とかお茶漬けの素とか持って行ってあげたのに冷たいことである。そして別れ際、彼は眠い目を擦りながら件の مطار という語を教えてくれた。
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当時の私は貧乏だったので、旅行には余計な金を持っていかないし持っていけない。とりわけ旅の最終日だったので、ポケットには現地のエジプト・ポンドが数十円分しか入っていなかった。バス1回分である。
(ちなみに今は違うみたいな書き方をしたが、今は入る金が増えた分、出ていく金が増えただけで収支は均衡している。不思議なものだ)
ところで、エジプトの人々はみな親切だ。
イスラムの教義として、旅人すなわち弱者に親切にすべしと教えられていること、日本人が信頼されていることなどが理由として考えられるが、こちらがなんのSOSを出していなくても、向こうから手を差し伸べてくれる。
その日もどでかいスーツケースを引きずっているのか引きずられているのかわからない異国の旅人を見るや、道端を掃除しているお爺さんが空港行きのバスはあっちから出ると教えてくれた。実にありがたいことである。
しかし、エジプト人の親切に乗るときに気をつけないといけないポイントが一つある。
彼らの情報が常に正しいとは限らないことだ。
プライドのなせる業なのか、彼らはわからなくても「わからない」とはあまり言わない。
数日前、アレクサンドリアで道がわからなくなり、友人が道端に屯しているおじさん3人に道を尋ねたところ、3人が3人違う方向を指差した。あまりにも見事な光景に、コントかと思ったほどだった。
そんな出来事があったので、このバスは空港行き、と言われてハイそうですかと信じるほど当時の私もナイーブではなかった。
バンを改造したカイロの乗合バスはダイヤがなく、乗客がある程度集まらないと発車しない。バスの傍らで大声を張り上げて客寄せする強面の男に話しかけた。
مطار
語尾は尻上がり、「ほんとに空港行くんだろうな?」という確認である。強面はそっけなくうなずくと、また何事か叫ぶ仕事に戻ってしまった。
念の為乗客にも聞いておこう、と思って隣のおじさんに話しかけた。
مطار
するとなぜか車外にいる強面がやってきて、大丈夫だから大人しく待っとけ、的なことを言ってくる。いや、あんたには聞いてない。
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およそ15分後、待った分数と同じだけの客を乗せてバスは出発した。
エジプトのバスは、運転の荒さが尋常ではない。アスファルトがひび割れてはがれそうな悪路をガンガンに飛ばすのでガッタガッタ揺れる。
あろうことか、このバスはさらに道路を逆走しだした。それを見て、本当に空港に辿り着くのかと三たび確認したのが、冒頭のやり取りである。
フライト時間も決まっているし、目的地も運転も怪しいバスに現地人と肩を並べて乗るのには不安しかない。
それでも何度も確認したから大丈夫と自分に言い聞かせて車の振動に身を委ねた。
バスはもう一度道路を逆走した。
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体感にして30分後。
突如助手席の強面が私の方を振り向き、なにごとか話しかけてくる。
どうやらここで降りろと指示してくれているらしい。海外のバスでは、慣れない旅人に降りる場所を教えてくれることが多々あるのだ。これなら間違いようがない。なんだ、空港空港とバカみたいに連呼する必要もなかったな。ありがとう強面、意外とイイ奴じゃないか。
爆走バスは道路と原っぱだけの場所に私を降ろすと去っていった。もちろん、空港のくの字も見えない。
(※イメージ)
どこだ、ここは。
バスは空港の「方」に行くだけで、空港には向かわないということなのか。
「消防署の『方から』来ました」と称して消火器を売りつける商法と同じじゃないか。
困ったことになった。通じる言葉と言えば簡単な挨拶と自己紹介を除けば مطار だけだ。
もっと困った問題として、バスで手持ちのエジプト・ポンドが底をついてしまった。
フライトまであと1時間。これから便を取り直すのは金額面でもスケジュール面でもかなり厳しい。どうするか。
無意識に財布を探って気づいた。
まだ、支払手段があったのだ。それも世界最強の基軸通貨が。
気を取り直してタクシーを捕まえることにする。幸いにして私が立ち尽くしていたのは幹線沿いであった。スーツケースを抱えた旅人に向かって、タクシーの方から勝手に寄ってくる。
平素なら運転手との熾烈きわまる値段交渉が始まる(ボッタクリ価格がデフォルトだから)ところだが、今回ばかりは交渉の余地はない。
مطار
今度は叫ぶようにその言葉を運転手にぶつける。浅黒い肌にもじゃ髭の運転手は先程のバスをかくやと思わせる爆走を見せ、無事空港のターミナルにつけてくれた。
タクシーを降りるとき、米ドル札を押し付けるようにして運賃を払った。運転手は私の珍妙な殺気に気圧されたのか、何も言ってこなかった。
さらに外国人とみるや頼みもしないのに寄ってくる小遣い稼ぎのポーターにも1ドル札を握らせ、スーツケースを持たせてチェックインカウンターへ走らせた。そして、
「遅かったわね」とカウンターのお姉さんに苦笑されつつ、搭乗手続きを済ませることができた。この時点で、フライトまで45分を切っていた。
(普段絶対撮らないのに飛行機の窓から写真を撮っている。余程嬉しかったらしい)
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"Life finds a way"
恐竜が出てくるハリウッド映画で、カオス理論がどうとか言っていた博士の台詞である。
絶望的な状況であっても、いや絶望的な状況にあってこそ、人の脳は驚嘆すべき働きを示して道を見つける。それこそが、ひ弱な人の営みを綿々と続かしめた原動力と言えるではなかろうか。
言葉が通じなくても、カネが無くても、チェックインギリギリでも、案外なんとかなるものだ。
数年後、バンコクで空港に時間ギリギリに着いたら普通に乗せてもらえなかったけど。
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あれから8年経っても、相変わらず貧乏旅行ばかりしている。
変わったことと言えば、スーツケースのサイズが半分になったこと、航空券のチェックインはオンラインで済ませるようになったこと、財布につねにドル紙幣を入れておくようになったことくらいだ。
曲がりなりにも言葉によって意識と思考を操る人間の端くれとして、少しぐらいは学習すべきかなと思うからである。
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ここまでお読みくださりありがとうございました!
また、このような機会を設けてくださった岸田様にも御礼申し上げます。
【参考】
*岡ノ谷一夫「『言葉』はどのようにして生まれたのか」(imidas, 2014年1月31日)
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