○オギャーで始まり、はじまり。
「うたふやうに」
さう共通了解を得た、
音楽記号「cantabile(カンタービレ)」。
漫画「のだめカンタービレ」において、主人公のだめと千秋との会話の中で、「千秋様」よりcantabileへの言及がある。
cantabileの語源を敢へて大好きな漫画から引用し、本稿の導入とさせていただいた。
それでは、さて、まづそもそも「うた」とはなんであつたか。それを紐解くために『ノヴェンバー・ステップス』で有名な作曲家の武満徹氏(1930~1996)の言葉を引用したい。
これらの見解は、私の前回の記事『歌の基(もとゐ)』において、佐佐木信綱氏が訴へた「廣く深くおのがじしに」の深くといふ点の「人間の魂から湧き出る聲」とも重なる指摘であらうと思はれる。
さらに視界を広げ「音楽」といふ視点についても武満氏は下記のやうに語る。
武満氏の最後の文章は、「吃音宣言ーどもりのマニフェスト」と仰々しいタイトルが付され書き始められてをり、そこから子供の言葉やベートーヴェンのダ・ダ・ダ・ダーン、五十音の一つの音を二つ重ねてできた言葉ーーー生命に根差した音、などと解説が続いてゐます。
このやうに音や歌さらには音楽の初源的な力といふ視点から、歌、音楽、詩の関連性を提示したわけであるが、、、
生の挙動、そして歌ふやうに、とは…。
ぎゃぼー!
と、高らかにどもりながら今日は締めたいと思ひます。
最後に、
二〇二一年に詠みし小生のバブってる歌です。
この町を見渡せたらと虹を見て
つぶやくこどもと母が見上げる
雨上がり虹にのぼりてこの町を
見渡せたらと親子で見つむ
制作中の歌集の「あとがき」を公開してをります。是非お読みいただいて、わたしの歌集に興味を持つていただけたらすごくすごくうれしいです☺️☺️☺️!