目次と目視

○認識の変容

 さいきんたまたまきんじょにあつた100円たこやきが売られてゐた岡山県の或るスーパーマーケットの販売戦略なる記事を読み、約四年前の西日本での生活を思ひ出してゐた。

 その生活はいふと、起きて水を一杯頂く。たこ焼きを買ひに出掛けお腹を満たしたところで、道中、タバコを片手に歌を詠んだり好きな音楽を熱唱したりしながらコインランドリー、バッティングセンター、温泉といふドライブコースが待ち受ける。

 そしてある時、いつものやうに岡山県北部の山あひの道で車を走らせてゐると、急に不思議な感覚に襲はれたのであつた。

 運転席から見へる数百メートル先のお店の看板や、人影、交通標識などがいつもとちがふかたちで目に飛び込んできた。とまどゐながらもアクセルを緩めず進むと、なんてことはない、そこにあるのは異世界の様相でもなく、過去の風景でもない。近づけば近づくほど、その「異形」は軟化し、わたしは落ち着きを取り戻しそして煙草を手に取る。

 後々になり思ひ返せば、「騙し絵の反転」のごとく、対象の認識がひつくり返つたかのやうに脳内が判断したのでは、と冷静に分析する。それは異界への転生を果たしたのではなく、勿論タイムリープしたわけでもない、只只おのれの視覚が一瞬変化しただけであつたのだ。
ところで、有名な「騙し絵」といへばこちらか。

https://commons.m.wikimedia.org/wiki/File:Facevase.JPGより引用

 このやうにいつもとちがふ視へ方はその後しばしば起こり、わたしの感覚を惑はせたのであつた。

○右脳大爆発

 理由を考へた。

 2021年、春の肌寒さをくぐり抜けた六月おはり頃であつか。東京から岡山県は真庭市といふ山に囲まれた街へ移り住んだ。西日本に住んでみたい、和歌を詠むためなどとかつこよく自称し縁もゆかりもない土地での生活が始まつた。東京から新たな職場へ初めて伺つた際は、
「ほんとに来た(笑)(笑)」
と言はれたのを、今懐かしく回想する。

 真庭市を拠点にして様々なところを訪れることが出来た。岡山県を選んだのは、当時、司馬遼太郎の『峠』といふ幕末の長岡藩士河井継之助に焦点に当てた小説を読み、単純にも魂を揺さぶられ、その河井が慕つた山田方谷なる人物の跡を追ひたいがためであつた。
休日になると車を走らせ、近隣の高梁市や新見市などの様々な史跡を訪れ、河井や山田の軌跡に触れることが出来た。半年の岡山での生活は多くの方にすごくすごく良くしていただいた。長年住んだと勘違ひするほどの愛着を抱き、今もなほわたしの大切な大切な思ひ出のひとつである。
これこそまさに異世界へ投げ出された後にいつもの世界線へと戻つたときの感覚であらうか。知らんけど。ふたりの偉人の話や岡山での話はまたいつか。

今も残る、河井が後ろ髪引かれながら山田の元を去つた場所にて詠んだ歌が以下である。

  煙耕(えんこう)の
  谷に下りてふりかへり
  のぼるけむりの行く先を追ひ

※煙耕とは煙草の葉の畑のこと

 そしてその「騙し絵」、認識の変容の理由とは、単純に歌を詠まんとする自然や歴史、文化や風俗に多々巡り合つたことで、右脳フル回転の末の大爆発により見へる景色が変はつたのでは、とさう結論づけたのである。

○制作中の歌集の目次です☺️!

 旅の行く先や目的地を設定することはあれど、その過程では行き当たりばつたりを好むわたしの旅のやうに、ここで突然にわたしの制作中の歌集の目次(予定)を公開致します。

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▫️花の章
▫️旅の章
▫️和歌を詠んだ街の索引
▫️あとがき

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 以上です☺️。

 花の章では、亡きわが師へ今こそ捧げたい、先生に詠んで欲しい五十五首を掲載しました。
 旅の章では先で語りし岡山をはじめとした西日本への旅で詠んだ歌を主に配しました。戊辰戦争最大の戦線ともいはれた長岡戦争で敗れた河井継之助を偲んだ歌や、四国や鹿児島は知覧で詠んだ歌なども掲載してをります。
 いろいろな街を訪れたのでどの街で詠んだのかを自分なりにも振り返りまとめてみたく索引も設け、そして最後のあとがき、こちらは先んじてこのnoteで公開してをりますが、わが師へのおもひや、歌詠みが始まつた最初の一首、そして歌集においての最初と最後に載せる予定の歌の解説を付け加へましたので、こちらのあとがき、是非お読みいただければと存じます。

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2021年9月に詠んだ歌です。

  あづまうた西へのぼりて潮風に
     晒されかはる波の音かな



歌集の表紙を
こちらに載せました˚✧₊⁎❝᷀ົཽ≀ˍ̮ ❝᷀ົཽ⁎⁺˳✧༚


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