【(後編)思考が現実化して、火事になるところだった…】
前回のNOTEの記事で、火事になるところだった事件を書きました。
読んでいない方は、こちらからどうぞ。
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【(前編)思考が現実化して、火事になるところだった…】
https://note.com/matsudarie/n/nf9802d2a1293
前回の記事に・・・
巨大なフランベ状態から、
主人の対応で、すぐに火は消えて
何事もなく終わりました。
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*何事もなく、終わったのには
この時に超大切なマインドがあったのですが、
この話は、また次回・・・*
と、綴ったのですが、今日は、このお話をシェアします。
・・・・・・
鍋が巨大なフランベ状態になり、火が立ち上っていた時、
私は全く気がつかず・・・。そして、
たまたまキッチンに入ってきた主人が、その状態に気がつき、「それは何をやっているの?」と、私に声をかけました。
通常だと、「火が出てるー!」「危ない!!」など、大声を出してしまいそうなシチュエーションですよね。(もちろん、緊急事態の場合には大声が必要な時もあります。)
ですが、咄嗟に、大声を出してしまったら、私が動揺して慌て出すことを知っていたのかも知れません。
この時、主人は、「火」とは、一度も言わなかったのです。
その時の状況を再現すると、このような会話でした。
・・・・・・
主人「それは、何してるの?」
わたし「(振り返って)ギャーー!!どうしようー!!」
主人「はい。まず、コンロのツマミを右にひねる。」
わたし「はい。(右にひねる)」
主人「はい。止まる、そして、落ち着く。」
わたし「・・・・・・。」
・・・・・・
主人がその場で落ち着いた声で私に話したのは、この3つの会話のみ。
その後、何をするわけでもなく、鍋の上に上がった(50cmくらいのフランベ)は静かに消えていきました・・・。
禅の格言で、「座禅せば 四条五条の橋の上 往き来の人を深山木にして」という言葉があります。これは『橋の上で人がドンチャン騒ぎの人が往来が多いところでも、深い山奥の静かな森の中、小鳥が鳴くような静寂の中で、ただ座っているようなものだ』という意味なのだそう。
それくらい、どのような状態にあっても、動じない心というのを、禅では養うことができるそう。それは、普段の「座禅」の鍛錬で・・・。
だから、深い集中状態に入ると、目の前にカミナリが「ばーーーん!!!」と落ちても、全く微塵とも動じないくらいの、集中力に入れるし、そういう集中状態に入らないと、本当に心の深いところに自分自身が徹して揺るぎないものを掴んでいくという風にはならないそうです。
そういう状態に入ることによって、天地がひっくり返っても、全く動じることのない揺るぎないものを掴むことができる。それをしっかり掴んで、離さないように、日常の中でも咄嗟の時に試されるし、まあ、落ち着いて対処ができるように、なっていくのではないでしょうか。・・・という説明を、
今回、禅の修行を学生時代から約25年くらいやっている主人から聞きました。
ハプニングやアクシデントに遭遇した時、本当の平常心、心の鍛錬の成果が現れるのだと思いました。
同じ状況でも、
どの意識でどの言葉を持ち出すのか?
その状況に対して、
どの思考で、どの言葉をチョイスするか?
どういう意味をつけるのか?
それは「その人の選択である」ということ。
とはいえ、もちろん、大声の場合の方が適していることも勿論あるし、これが正解ということでもないのです。
ただ、私たちは、自分で適切な意思を選択できるということを知っておくということが大切なのだと感じます。
誰かに声をかける時、自分視点と相手視点を大切にしたいですし、この状況で冷静に対応をした、主人の視点と心の強さに尊敬です。
私はまだまだ、鍛錬が必要・・・(汗)。
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●まつだりえ
・イラスト思考シニア講師
・トランス・フォーメショナルコーチ
・イラスト自己分析プログラム開発者
【私のMission(理念)】
*人の情熱を掘り起こし、
自分の人生に情熱を持ち続けて生きる人たちを増やす
【私のVision (ビジョン)】
*誰もが自分の才能や可能性をひらき、
お互いの価値の循環が響き合う世界をつくる
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