おじいちゃん、おばあちゃんを撮るということは
こんにちは。夏が全力投球し出したこの頃、小学校は冷房はおろか扇風機すら付いていなくて、どうやって過ごしてたんだろうという疑問がちらつくまっちょです。
写真家として独立して「何を撮っているんですか?」と聞かれる機会が増えたのですが、私は率直にこう答えています。
良いおじいちゃん、おばあちゃんを撮っています
大抵の人は「どういうことw」と笑ったりしますが、シニア向けにお仕事している方は「遺影ですか?」と鋭いリアクションをしてくれます。
ここで私はこう答えます。
結果として遺影にして貰えたら嬉しいですね
だってそうじゃないですか。他人の私が「遺影撮りませんか?」なんておこがましいですし、写真くらいご家族で決めるべきですよね。じゃあ何を売っているのかというと、写真じゃなくて家族間のコミュニケーションを売っているつもりです。これまたどういうこと?となるかもしれないですが、皆さん子供の頃の写真や成人式、結婚式、出産など、若い頃の写真は家族で撮るし、それなりに家のアルバムや今だとスマホにデータがあると思うんです。
じゃあ、おじいちゃんおばあちゃん、もしくは自分の両親をちゃんと撮ったことあるかというと、あまりないと思うのです。
私は撮影を通して、家族間のコミュニケーションが増えたら良いなと思って撮っています。
じゃあなんでそんなこと始めたの?っていう話なんですけど、これのきっかけは私の祖父です。
甥っ子の七五三を撮っていたら、突然祖父が「おい、わしを撮れ」なんて言うんです。どうしたの?って感じでした。
というのも、祖父はカメラを向けると「わしなんか写すな」と言っていた人なんです。
「あんた何歳になった?」と聞くと、「まあ87歳になる」と言うから、なんとなくそういうことかなぁと思って一枚撮ったんです。それが意外と良い顔で。
ネクタイ曲がってるのもこの人らしいと思って直さなかったんです。家族間でもこの写真は好評で、あ、写真ってこうやってコミュニケーションを作れるのねっていうことで祖父に相談してみました。
という感じで、チラシ作ったり近所の人に声かけたらやっぱり欲しい人もいるみたいで、何人か撮らせてくれました。
今はスマホでいかに皺を無くしたり、綺麗になるかに躍起になっている時代ですけど、シニアの皺はそれはそれはかっこいいと思うのです。
しっかり生きてきた歴史と言いますか、それがあっての笑顔はやっぱり安心感がある。
おじいちゃん、おばあちゃんを撮るということ
さて、タイトルのこれですが、私は未来と向き合うことだと思っています。
いずれ私も皺が増えて、腰が曲がりますからね。
それでも写真に写す彼らはとても凛々しく、とても優しく、とてもかっこいいです。それを残してあげられたらなぁと思っています。
所詮写真ですから、それだけで生み出す効力はそこまで大きくありません。ですが、写真を通して生まれるコミュニケーションはとても大きな輪になると思うのです。
撮った方々は口を揃えてこう言います。「ああ、これで遺影の心配はいらなくなった」と。長い人生を歩んできた人たちは、少なからず後世へ何を残せるのかを心配しています。それは本人から家族に伝えるには、少し恥ずかしく、少し憚られることもあるでしょう。
人は生まれたら必ず寿命がつきまといます。そして、必死に探した両親や祖父母の写真が家族の中にある「その人らしい顔」じゃないのは、少し寂しく、それに対してお金を払って、わざわざ寂しい遺影を作るのも良い加減違うんじゃないかなと思います。
だったら、良い写真撮って、良い思い出作って、その時に備える。
日本人ってそういうの得意だと思うんですよね。そして私たち若い世代が歳をとった時にはもはや遺影なんてなくて、自分史的なものを残す文化になっていて、その人にちなんだイラストや、アイテムを作るとか、もっと多角的に自分を象徴する何かを残す世の中になって欲しいと思っています。
出張写真館松千代は、人生を映画のように残すお手伝いをしています。
今度、栃木県と山口県のご家族撮影をしてきます。
目指せ全国展開。