第七話「じいちゃんからこっそりもらった聖徳太子の壱万円( ;∀;)」
皆様こんにちは松﨑健太郎です。
今日は、昔じいちゃんにもらった壱萬円の話をします。
豪快な商人じいちゃん
自分のじいちゃんかなりファンキーで豪快なじいちゃんでした。
前回も書いてるので、簡単に説明すると、小学校の時、
早朝5時に起こされ「農家の所へ行くぞ」と、
勿論早すぎるから眠ってる農家さんの家に入り、
囲炉裏に火を付け勝手にお湯を沸かし始める。
恐る恐る障子を開ける農家さんが、じいいちゃんの顔を見ると、
「なんだ松﨑さんかよ」
じいちゃん「なんだ寝てたのか。お湯沸かしといたぞ」( ゚Д゚)/
それから
いつも札束を腹巻に入れてたから、農家さんにお金せがまれると、
気前よく貸していた。
自分が知るだけでも戻ってないお金相当ある(笑)
ある日
自分「あの人に前も貸して戻ってきてないから」
じいちゃんは俺の手をぎゅっと握り「黙ってろ」と、、、
じいちゃん知ってて貸してるんだ( ゚Д゚)/
そんな豪快でありながら、色んな方々に愛されてたじいちゃんは、
自分を連れ出すと、聖徳太子の壱萬円を出して、
「内緒だぞ」と、、、
小学生の自分に、毎回壱萬円を渡してくる。
自分「いやいやそんなもらえないよ~( ゚Д゚)/」
毎回申し訳なくもらった記憶が未だにあります。
勿論、そんな大金で大切なお金使えないですよね、、、
自分は、毎回その聖徳太子の大きな壱萬円札を、
ちょうど入る大きさの箱にしまっていました。
中学生になり、じいちゃんが死んでしまい更にそのお金は、大事過ぎて使えなくなりました。
苦しい時に、、、
高校を卒業し、就職、結婚後、喜多方に戻り、21歳で創業しました。
実際、じいちゃんやおじさん、親戚みんな大きい小さい関係なく
様々な商いをして居たので、自分も創業するということ
自体そんな難しく考えなかったんだと思います。
しかし現実は、商売一本で食べてくのは厳しかったです。
お金も人脈も無い自分が、しかも結婚して
子供二人育てていくのに苦労しない訳がありません。
新聞代が払えず、子供達と声を潜め「静かにしてろよ(笑)」
まぁ生きるのに必死でした。
お金がない。
取りあえず実家に戻り、何かないかと漁ってた時、
あの箱が出てきたんです。
開けるとそこには、聖徳太子の壱萬円が
数えると25枚も入ってました( ;∀;)
うーありがてぇ~( ;∀;)
まず壱萬円で、スーパーに買い物に行き、
子供達にも好きなお菓子買ってやりました。
なんか平成時代なのに背景が可笑しいですよね(笑)
20代なんて周りはみんな自由に遊んでましたから(笑)
本当貧乏のどん底ですよ(笑)
一枚、二枚、三枚、四枚、、、、、
25枚あった聖徳太子の壱萬円は、残り5枚しか無くなっていました。
もう使えない、
自分は残った壱萬円札5枚すべてに、「じいちゃん」と
書き、またあの箱にしまいこれは使わないと決めました、、、
最後の、、、
会津という土地柄もあり、名物でもある「赤べこ」を売る仕事を始めました。
ある観光地の階段の下のデットスペースを借りて、、、
その場所は、観光バスがたくさん来るんですが、借りたいと言った時
「あんな場所何やっても売れないよ」と最初馬鹿にされてました。
でも自分には、雨風防げて、観光バスからお客様が下りる場所だったので天国みたいに見えていました。
「赤べこ」を売ると言っても、張り子とキーホルダーの専門店なので、
そう簡単に売れるものではありません。まずは、赤べこを徹底的に
調べました。柳津町にある、柳津虚空蔵尊の建築の際、過酷過ぎて、
牛がバタバタ倒れる中、最後まで働き通した牛が赤牛だったとか、
身体についてる模様は部落の流行病を、
全て背負い助けた時に出来た模様だとか、
小さい金色の丸は、子だくさん意味しているとか、
様々な逸話が出てきました。
また会津の観光地をすべて巡り、赤べこの値段を調べ回りました。
観光客のお客様に、得た情報を熱く語り、会津で一番安いお店ですよ(安くしたのは10円~50円です(笑))と伝え販売しまくったんです。商売人が本気で売る訳ですから、
有り難い事に、会津で一番売れる赤べこ屋になりました。
赤べこ専門店なんて無かったので、オンリーワンの
お店だったんですね。
ようやく家族がご飯食べれる様になったのも束の間でした。
実は起動に乗り始めた頃、そこのオーナーが「赤べこは良く売れるなぁ」
と、ちょくちょく店に顔出す様になりました。
悪い予感は的中します。
ある日、突然「来月から家で赤べこやるから出てってくれ」と告げられます( ゚Д゚)/
自分「ちょっと待って下さいよ。やっとご飯食べれる様になったのにそれは無いでしょう( ;∀;)」
必死の訴えも虚しく、次の月に退去することになりました。
思えば、自分自身も相当小生意気であったし、
感謝も足りなかったんだろうと、今は思えますが、、、
当時の自分は真っ暗ですよ、、、
またご飯食べれなくなる( ;∀;)
収入を失った自分は、あの箱の、残り5枚の聖徳太子の壱萬円に
自棄になり手を出しました。自棄というより本当苦しかったんです。
25枚あった壱萬円、残りが最後の一枚になりました。
自分は、じいちゃんの墓に行き
「ごめんじいちゃん。俺大事にしてきた
じいちゃんからもらった壱萬円最後の一枚も使うね。
本当今まで助かったよありがとう」
初めてじいちゃんの墓の前での感謝だったと思います。
いつも墓に行ってはお願い毎ばかりだったから、、、、
そこから今の豆につながる仕事に出会い何とかご飯を食べて行けるように
なる「豆屋」のお話は、また今度しようと思います。
あの大きな聖徳太子の壱萬円の貫禄というか、偉大さは
じいちゃんという存在そのものです。
自分も、あのじいちゃんみたいに、豪快で愛がある商人に
なりたいと思います。
(家族にとっては結構大変な方だと思いますが、、、(笑))
いつも読んで頂きありがとうございます。
単純なので、💛押して頂けるとモチベーション上がります(笑)
皆様も、お豆に幸せ溢れます様に。
なんと全部使ったと思ってたじいちゃんの一萬円金の紙にたたんであるの出て来た😭☝️
これは絶対使わないでお守りにします😭👍