社会人をしばらくやってみて思ったこと 1
この文章は私が設備系の会社に勤めていた期間のことを書こうと思います。
なぜ書くのか?それはわかりませんが
今を生きる、これからの人たち。
特に進路を迷っている学生さんの参考になればいいなと思い書こうと思います。
まず、私自身、高校は工業高校に入りました。
この時点で、自分は「なにかを作りたい」とか「技術を学びたい」という考えはあんまりなくて
いま振り返ると、親の姿をみて入ろうと思ったのと、図工が好きだったから
そう思います。
母親は美容師の免許をそして父親は自動車整備の免許を持っていて
気がついたときには両親とも「その仕事には就いていませんでした」
結構ここが重要で実は「それを仕事」にしていると「私は」見えなかったんだと思います。
親が仕事をしている風景って案外見ないものです。
朝出ていって夜帰ってくる。そのリズムを見ているだけで
実際子供には「働く姿」っての見えてないものでした。
そんななか両親はお互いに「その資格の仕事に就いていなかった」から
「その資格のことは別の時に見る機会が多々ありました」
例えば「髪を切る」なんていうのも大学まで床屋や美容室に行くことはなくて全て母親が切ってくれていました。
一方、車や自転車。農耕機が壊れたときなんかは父親が工具箱を取り出して
直していました。
そういう姿を幼少の頃から何気なく見ていて
「ああ、なにかできるってのは便利だなぁ」と思い
工業系に進んだんだと思います。
それに、私自身「学校の成績」はよくありませんでしたし
高校を卒業したら働こうと思っていたので
「普通科」の高校を卒業して何をするのかが全く想像できなかったのもあります。
だけど、工業科は機械・電気・土木といったわかりやすくて何を将来するのか?
それがとてもわかりやすかったから進みました。
前述のように頭が悪かったので近くの工業高校には入れずに
電車で40分くらいの隣町の工業高校に入りました。
工業高校出身者ならわかると思いますが
基本、通う人間は半分が不良っぽい怖い人達。
もう半分はオタクと真面目なやつ少々という
至極奇っ怪な構図になっている場所です。
初めて行ったときは
「なんだここは・・・」とちょいとショックを受けましたが
何のことは無いです。
3ヶ月も通ったらなれてしまって
ヤンキーっぽい人たちも自分たちには興味がなくて
別になにをされるとかもありませんでした。
もっぱら田舎だったのもあって、
ゲーセンに溜まるとかそういう事もできないから
たまり場なんかもなかったです。