自己紹介②(体調不良〜自力復活をした経緯など)
こんばんわ。
心理学独学生(造語です)のばらみです。
noteへの発信を通して、社会で生きる人たちが今よりもっと自分の個性を大事にできる、きっかけを作れたらと思っております。
なぜそんな発信をしようと思ったのか。実は、私自身が過去にワーカホリック気味になり、体調を崩してしまったことがあるからです。
本日は、体調不良〜自力復活に到るまでの経緯を、
なるべく簡単にお伝えしようと思います。
<目次>
■学生時代〜新卒までは、不真面目代表
■社内賞の受賞が、プレッシャーに変わる
■2度目の受賞で、「THE END」
■人との繋がりで、ゆっくり癒えていく
【学生時代〜新卒までは、不真面目代表】
授業中は居眠りorサボりが当たり前、宿題もほとんどしていません。「なんとかなるっしょ」「しぬわけじゃない」を口癖にいつもギリギリのラインをすり抜けるような生き方をしていました。
新卒は某金融会社に営業として入社。飛び込み営業が嫌で、「行ってきます!」と元気よく営業所を出た後、公園かデパートの屋上に直行。携帯電話をオフにしたまま上司の隣でテレアポしたこともあります。その傍ら、真面目に仕事をしていた同僚が次々と体調を崩し退職。相変わらず自分のスタンスを崩さなかった私は、その一年後「もう辞めていいよ」という上司の一言で我に帰り退職しました。
【社内賞の受賞がプレッシャーに変わる】
今の会社に転職したのは24歳のとき。次は自分が本当に好きだと思えることに挑戦しようと思い、ディレクター・ライター職に運よく就けることに。好きなことだから、「もっと上手くなりたい」の一心で、生まれ変わったように真面目に取り組みました。そして転職をしてから3年目、私が所属する部署の社内賞(制作賞)を受賞しました。何かで一番になったのは、この時が初めてです。多分、誰よりも驚いていたのは私でした。なぜなら、狙って得た結果ではなかったからです。嬉しいはずが、なぜかそこから体のあちこちが痛むように。やがて口癖は「精進します」「こんな人間ですが、頑張ります」に変わっていきました。
【2度目の受賞で、「THE END」】
一発屋で終わってはいけない。自分の実力を見せるためには、もう一度同じ賞を得なければならない。「元々だらしない人間だから、もっと頑張らないといけない」。いつの間にか呪文のように唱え、仕事に没頭していきました。今考えると、仕事のやり方に無駄が多く、自身で過剰に残業していたことも体調を崩していった大きな要因です。梅雨〜夏の時期で、体がバテていたタイミングで、夜中に突然息を乱しパニックに。そこからパニック発作が頻発し、一時は電車も乗れない状態になりました。人に知られたくなくて、仕事も手を抜かず続けていました。そしてちょうど、そのタイミングで所属部内のMVPと以前いただいた制作賞を受賞。「頑張ったね」やっと自分に言えた一言とともに燃え尽き、抜け殻になりました。
【人との繋がりで、ゆっくり癒えていく】
私が休職していたのは約2ヶ月間。一度心療内科には行きましたが、自分の意志で診断は受けませんでした。私は診断を受けることで、何かに分類されることがすごく嫌でした。ただ、周囲への影響度や援助をしてもらう上では、決して良い決断だったとは言えません。
一応は自力復活という形を取っていますが、復活できたのは、もう一度人との繋がりを持つようになったからです。じつは、体調を崩す前くらいから、友人との交流がほとんどなくなっていました。当時、友人の多くが結婚や出産などのライフイベンを迎えていました。私はそれが世の中の正解(光)に見えて、自分が不正解(影)のように感じていたのです。だから目の前にある仕事を正解にしたかった。本当はずっとさみしかった。そんな話を、少し疎遠になった友人と話しながら、ゆっくり癒えていきました。
一応、これが簡易版です・・・!!
こうした経験の中で、得た気づき、
興味を持ったことなどを、ちょっとずつ紹介していけたらと思っています。
今日はここいらでおいとまします。