何か行動するとき、邪魔するものの正体は自分だった
東京に住んでいると、
こういうことを知りたい。
学びたい。と思ったときに、
だいたい望む内容について
近い場所に学べる場があった。
その場には、
新幹線や飛行機で来られていたり、
時には宿泊して参加されている方もいて、
すごいなぁといつも思っていた。
昨年参加したいと思ったものが、
初めて、関西での開催だったので、
かなり迷った。
参加したい気持ち以外に
大義名分というか、
言い訳というか、
そんなものが必要な気がして。
さらに実家のある関西。
関西に行くなら、
実家に寄らないといけない。
そんな思い込みもあった。
参加したいなー。
ただ、それだけなのに、
参加費用に交通費、
宿泊に帰省、
その間の家事はどうするかなど、
私の行動を止めるものがいっぱいだった。
1年たった今、
参加したいーで動けるようになってきた。
ひとりで宿泊。
関西に行っても
実家には寄らずにすませるときもある。
勝手にダメだと思っていただけで、
やってみれば、できてしまう。
家族の了承は必要なんだろうけど
決めてしまえば、
あとはお願いします。で
済ませられるようになった。
周りがどう思うか?
家族が困るんじゃないか?
そんなことを考えていたけれど、
実際に動くようになったら、
どう思うのか、
困るかどうか、は
そのときの状況によっても違ってて、
私の想像どおりではないことも多くて、
その想像も勝手な思い込みだとわかった。
何か言われたら、
対処すれば、それでよかった。
やってみたかったこと、
やってみたら、
勝手な思い込みの想像に
怯えていただけだったなぁと思った。
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