「夫と家事を分担しようプロジェクト」〜たかが食器洗い、されど食器洗い
わけあって、「夫と家事を分担しようプロジェクト」を密かに進めつつある今日この頃。まずは毎日必ず生じる「食器洗い」から頼むことにした。
(なお、これまでの経緯については下記の記事に書いております)
食器洗いの憂鬱
私は数ある家事の中でも、食器洗いがとくに苦手。
「食洗機を買えば」と言われそうだが、設置スペースなどの事情から導入を躊躇し続け、今に至っている。
苦手、というか、ハッキリいってしまうと嫌いなのだが、その理由は主に3つ。
① 毎日、食後に生じる仕事だから(ゆっくりしたいのに作業しなくてはならない)。
② 食べ残しや油汚れなど「汚い物を片付ける」作業が多いから。
③ 排水口のゴミを捨てる、シンクを磨くなど、付随した作業も汚いから。
要するに、食器洗いって汚れ仕事なんですよね。
「食べ終えたら、運んで洗わなきゃ」と思うので、食事の後半くらいから気分がブルーになってくる。
そこで今回、1日おきに夫にお願いしようと決意した。
夫に食器洗いを任せる狙い
夫に食器洗いを任せる狙いとして、自分が楽になるという理由ももちろんあるが、自分で片付けをするようになれば、「食べ散らかすことが少なくなるんじゃないか」、という期待もある。
夫はテーブルマナーをあまり気にしない人なので、食べ終えたあとの食器が汚くなりがち。家ではいいけど、誰かと外食した際もそうなんだろうな、と思うと、対外的な人物評価の低下につながる気がする。
後片付けまで自分でするようになれば、片付けが楽になるように、きれいに食べるようになるんじゃないかと思うのだが、どうでしょう。
なお、断られた場合は「ビル・ゲイツは夕食後の食器洗いをルーティーンにしていて、洗いながら思考を整理しているらしいよ」とか言って説得しようと思っていたのだが、「食後の食器洗いが苦痛で、気分が憂鬱になる」と話したら、「じゃあ、やるよ」とあっさり引き受けてくれた。
人に教える「面倒くささ」を乗り越える
なぜこれまで夫に食器洗いを頼まなかったのか。
それは、頼むと逆に面倒だったからだ。
ひとくちに「食器洗い」と言っても、さまざまな注意ポイントがあるのだが、夫は「細かなやり方」まで口出しされるのをとても嫌がる。そりゃそうだろう。私だって、マイクロマネジメントなんかされたくないし、したくない。
でも、やってもらおうと決意したからには、ある程度は仕方がない。
食卓を片付ける(食器をシンクに運ぶ)ところからやってもらうため、まずは次の3点を丁寧に説明した。
① 油汚れのあるお皿は重ねて運ばない(皿の裏にも油汚れがつくから)
② 運んだら、シンクに並べて水をはっておく(汚れを落ちやすくしておく)
③ 食べ残しは排水口に流さず、ゴミ入れに捨てる
食器洗いの注意ポイントの多さに我ながらうんざりする
次に、肝心の「食器洗いのやり方」なのだが、自分のやり方が果たして「正式な食器洗いの方法」なのかまったく自信はないものの、とりあえず、ざっとポイントを書き出してみた。
・皿についた油や大きな汚れは、先にキッチンペーパーなどで拭き取る
・スポンジに洗剤を出し過ぎない
・まずは油汚れのない皿から洗う
・お皿は裏側も洗う
・スポンジでこすり洗いしている際は、水を出しっぱなしにしない
・皿の表面を手でこすって洗い流し、滑った感じを残さない
細かい…。探せばまだたくさんありそうで、我ながらうんざりしてきた。
こんなことを説明したら、夫は聞くだけでうんざりしてやる気をなくしちゃうのではないか。
そんな不安が押し寄せてきて、もう面倒なので、好き勝手にやってもらうことにした。
その結果。
・鍋とかフライパンとか、調理器具を洗うのを忘れてしまう。
・お皿の裏を洗っていない。
・油汚れが落ちきれていない。
・使い終えたスポンジを絞っていない。
などなど、気になるところは多数ありまして。
(ちなみに、排水口やシンクの掃除はハードルが高そうなので、今のところ頼んでいない)。
結局は寛容性が物を言う
でも、ここでいちいちダメ出ししたら、夫の中で「食器洗い=面倒で嫌な作業」という印象が定着してしまうだろう。
そう思って、難点は自分で気づいてくれるのを気長に待つことにした。
もし気づいてくれなかったとしても、お皿が汚れているからといって死ぬわけじゃなし、気にしないようにすればいいだけだ。1日おきに私が洗うわけだし。
常日頃、円満な家庭生活は寛容性を持つことが大事だと思っているのだが、それが試される時なんだろうな(ちと大げさか)。
夫も、私が満面の笑みで「ありがとう」とお礼を言うので、まんざらでもなさそう。
と言うわけで、ゆるゆると「家事分担プロジェクト」を続けていきたいと思っている。