Matslabo

Mats & Associates 代表取締役 マーケティング 慶應義塾大学卒  MatsLaboを主宰 人が変化する力につながる気づきを得られる場を提供。150回以上の講演経験を通じ思考実験を楽しくしている。

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最近の記事

池江選手の言葉−2

「努力は報われる」 では、努力したけど、報われなった場合は信じていなかったと、前のブログで言ったけど、もし、報われなかった場合、その後で必ずここを直してみよう、これをトライしてみようみたいなことが頭に浮かぶ。頭に浮かんだことを実行する人は信じているということ。もし、実行しない場合は、信じてないと言えるのではないかと自分は思っている。 言葉であれ、何であれ、それを信じて突き進むということは、最終的に自分を信じているかどうかということ。自分を信じられるかどうか。 自分を信じ

    • 池江選手の言葉

      少々前の話になるが、4月4日の日本選手権女子の大会で、大会終了後、池江選手が「努力は必ず報われる」という言葉を考えたんだけど、ポイントはこの言葉ではない。 彼女は努力は必ず報われると「信じている」というところにあるなと。信じると言葉で言うのは簡単だけど、信じるという言葉を改めて考えるとむずかしい。 自分の過去の経験から考えたけど、自分としては本能的な思い込みみたいなもの。 考えたり、なんか努力して信じようとするとか、ということではなく、なんかわからないけど理由なく、こう

      • アメリカから見て、日本について思うこと

        まず、コロナ。 日本のコロナは海外から見れば高橋氏の言う通り、さざ波程度。本当に騒ぎ過ぎだと感じる。日本人特有の過度な心配性の表れ。コロナより怖いのは、人のコロナに対する感情。これが日本のコロナ騒ぎの本質。 ワクチンの役目は重症患者を出さず、病院の病床を緊急の患者のために確保することにある。つまりはインフルエンザ並みにする過程。ところが、日本のマスコミは戦時中よろしく大本営発表のように、感染者増加のみの報道で国民を煽る。重症社数、死傷者数、ベットの空き数などの報道は一切し

        • 枠にはめることの危うさ

          ビジネスではよくフレームワークなどを利用し、情報を整理し、そこから何を読み取れるかという形でよく使われている。 これに関連してなんだけれども、だいぶ前にある有名なお二方の対談があった。一方はただただ、自分の作品、写真などをiPhoneでもう一方の方に見せていた。そして見せられた方は、これは、なになに的ですね、作風が誰々に似てますねとしきりに、ある意味、枠にはめていた。おそらくその方は見せられた作品の情報を整理するために自然と口に出たのだろうけど、見せた方の作品が枠にはめられ

          コロナ禍でのイベントトライアルーイギリス

          Twitterで金曜日、土曜日とClubでの3000人イベントが開催されていることが載った。マスクなし、ソーシャルディスタンス無しで。イベント開催前24時間以内にCovidのネガティブテストが行われている。個人でのテストは認められない。 ポイントは、コロナ禍でイギリス政府がこのイベントを、3000人で感染状況はどうなるのかというトライアルとして見ているところ。まず、日本では考えられない。でも日本よりはるかにマシである。オリンピックを控えた国であるのもかかわらずだ。 日本は

          コロナ禍でのイベントトライアルーイギリス

          言挙げせぬ国

          日本は言挙げせぬ国。 若者の自殺、会社員の自殺。言挙げできなかった人たちだ。 個人の属性もあろうが、言挙げできない、ものを言えない環境こそ悪。 忖度、空気を読むことは社会を円滑するには役に立つが、度が過ぎると逆効果どころか悪影響しかない。 八百万の神の国。民主主義では大事なこと。でもヒーローが生まれてもいいのではないか? 古事記でもヤマトタケル、大国主のミコトは出過ぎた。最後には消える。 今の日本は出る杭は打たれる。出過ぎた杭は打たれないが、海外へ行く。これで日本は

          言挙げせぬ国

          小さな成功

          小さな成功を積み重ねよという。 でも、この小さな成功って何だろう。 自分の解釈はこうだ。やりたくないと思ってたことができた。理解が浅かったものが少し深まった、など、ほんの些細なことでいいじゃないかと思う。 人によって成功の解釈はそれぞれ。でも、小さな、自分にとって大したことがないと思うような事の積み重ねこそが自分の大きい成功に繋がって行くのだということ。 いきなり大きなことをと言っても、一部を除いては、人間そんな優秀ではない。

          小さな成功

          担保無しでは、何もできない民

          大学は一つの担保だろう。でも大学が将来を約束してくれるわけではない。 一流企業も担保だろう。でも企業はあなたの将来を約束してくるわけではない。 担保無しでやるやつは馬鹿と言われるのだろう。 でも担保無しで、まずやってみる、試してみるという精神がこの国にもっとあっていいんじゃないか? 担保無しとは覚悟を持つこと。 でも好きなことは担保無しでもできるんじゃないか? だってやりたいんだもの。

          担保無しでは、何もできない民

          人生どうしたら良いか困った時...未知の自分と出会うために

          人生どうしたら良いかわからなくなる時がある。何もかもがわからなくなって、途方にくれる時である。 そういう時は記憶を辿ってみる。追憶である。過去の自分の風景。 思い出せる限り、幼児期から思い出してみよう。頭の中だけでなく、それを書くといい。絵でもいい。その時の風景が出てくるような思い出。記憶は身体性を持ったものだからその時の思い、感情も出てくる。この思い、感情が大事。 なぜ、思い、感情か? 人は生きているうちに、色々なバイアスが入る。親、学校、メディア、そして自分の経験な

          人生どうしたら良いか困った時...未知の自分と出会うために

          プロセスの美しさ

          先日、たまたまろうけつ染めの映像をみる機会があった。 完成品は美しいには美しいが、完成までの過程においてマスキングからボカシの過程の段階で気づいたことが、まだ完成途中にも関わらずすごく綺麗なのである。もうそれ以上進めなくていい、その今の過程のものを完成品として欲しい。と感じた。 作者はある描きたいものがあり、染物であれ、織物であれ、絵であれ、完成した時の色合い、形をイメージしながら、その過程を進めていく。その過程、過程に作者の思いがあり、美しさがあるのは確かだ。ここには時

          プロセスの美しさ

          生きているということは?

          高橋祥子博士が12月7日付のnoteのブログでこんなことを言っておられた。 「生命科学の研究をしてその仕組みを知れば知るほど、そこに存在するというだけで、生命はそれ自体が尊いということです。生命として存在するだけでただ尊く素晴らしいということは間違いないものだと確信しています。」 私にとっては強烈なメッセージだ。頭をガツンと殴られた感じである。 このメッセージでふと思い出したのが、お花の次期家元、池坊専好師である。あるご講演で「池坊専応口伝」について言及しておられたの思

          生きているということは?

          言語より言の葉?

          まだ、小さい頃の話。 母方の父から、あることを言われた。そのあることというのはたった一言なのだけれども、振り返って見ると無意識のうちに、自分の人生はその通りになっているような気がする。 言葉というのは怖いもので、無垢である程、人の潜在意識の中にスッと入って行くような気がする。そういった意味で言えば、子供に向ける言葉は本当に気をつけないといけない。 言葉は、平安時代前後は「心のあり方」を示すものだったという。当時、神道と言葉は繋がっていた。これは日本だけではない。旧約聖書

          言語より言の葉?

          脳 ーXシステム Cシステム

          以前ある週刊誌で中野信子先生(脳科学者、認知科学者)が脳のXシステムとCシステムについて言及しておられた。 Xシステムは直感、Cシステムは論理性、理性である。 記事の内容とは異なるが、起業の場合のアイデアは、全部とは言わないが、Xシステムから来ている。それを検証するのにはCシステムが必要。直感と論理は両輪。どちらも大切だ。 大事なことは直感から出たものが売れるとは限らないということ。だからそれが売れるかどうか検証しなければいけない。そこからのフィードバックでまた原アイデ

          脳 ーXシステム Cシステム

          センスは意味不明から?

          センスは目のつけどころを決める。どこに目をつけるか。その認識が行動を決めることになる。 センスを磨く一つの方法として、訳のわからないものに触れるのがいいのではないかと思う。 人は役に立たないもの、意味のないもの、コントロールできないもの、訳のわからないもの、ノイズ、カオス、不安定さをいつの間にか排除している気がする。実はこの環境の中では五感しか働いていない。意識しようにも意味がわからないから、五感しか働きようがない。この環境こそ創造性が出てくるのではないかと思う。 ポイ

          センスは意味不明から?

          1%のセンスと99%の努力

          エジソン氏は1%のひらめきと99%の努力と言われた。 このエジソンの「ひらめき」について。 大事なのは1%のセンスが99%の努力を成果につなげる。と自分は思っている。割合はどうでもいい。 センスに従って努力するというよりは、模索しながら努力という行動もセンス磨きをする。この二つは両輪でどっちが先、大事という話ではない。 センス、別の言葉で感性。もっと言えばその人の生き方、考え方から来るものと思う。センスは時代をどう見るか、今後どうなっていくか、どう見立てをするか。どう

          1%のセンスと99%の努力

          「間」について

          人間と言う言葉に何故「間」の文字が入っているのか以前から気になっていた。(時間も空間もそうだが。) 人間は自然の一部。ある意味で、「間」とは人が自然に戻る状態なのかもしれない。 意識から離れた瞬間である。 日中のうたたねとか、寝起きのぼーっとした時間とか。 人はわからないことを許さない。自分は意識で生きていると思っているから、意味の無いものには存在すら認めない。意味があるとかないとかそんなことからちょっと外れた、離れた時が「間」。 その時人は自然に帰っている時間なの

          「間」について