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「森のような経営」は、経営ノウハウ本ではなく、あり方の本でした。

僕がかれこれ15年以上勝手ながら師と仰いできた山田博さん(「株式会社森へ」創業者、プロコーチ、山伏。以下ひろしさん)。今回はひろしさんが共著で出版された「森のような経営」を読ませていただき、僕自身の胸に残った言葉、感じとったサイン、そして僕のなかに想起されたイメージを一部解釈を交えて心のあるがままに書き残しておきたいと思います。

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普段あまり本によって心を動かされることはないのですが、今回はあまりに深く胸に刺さりすぎて、全頁でも書き写したくなる勢いに駆られているのでなるべくシンプルに。もしここに残させていただく一言一言が、少しでも心の琴線に触れたという方は是非書籍を手に取られることを強くお勧めします。

ひろしさんと山藤賢さん(医療法人社団昭和育英会理事長)の美しささえ感じる、ありのままの対談によって紡がれる言葉のそこかしこに、これまで自分自身が朧気ながらに感じ、そしてこうであれたらなと微かに意識してきたことがちりばめられていました。

「森のような経営」より

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森という組織は人間のずっと先を行っているのかもしれません。

森に同じ木は一本もない。

それぞれがそれぞれなりだから森になる。

森では個々の木が生きるのも、死ぬことさえも摂理。


人間以外の生き物は「今この瞬間にできる最善のこと」だけをする。

そして結果は全て受け入れる。

それが自然の摂理。

人間だけが未来を予測するという不自然なふるまいをする。

不自然を続けすぎると自然はそれを一旦チャラにする。

であれば人間も、いま最善と思うことにただ力を尽くしていくこと。

これが自然なあり方。


森の中はけっして平等ではない。

まっすぐに伸びる木もあれば、倒れてしまう木もある。

世の中だって、人間だって同じ。

育ったにせよ、倒れたにせよ、「そういうことだったんだね」というだけの話。

これは人・組織・事象のあり方をヨコからみる感覚。

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平等でないからこそ公正=フェアでありたい。

ビジネスにおけるフェアネス。自然界のフェアネス。根本は同じ。

人間は感情をもつ生き物。

ビジネスにおいて「勝つ」ことは喜びという感情につながる。

「勝つ」ことにおいてもフェア=真っ当さを大切にすることが摂理。

一方、人間も自然の生態系の一員である以上、起こることは起こる。

ネガティブなことが起きたとき、理不尽だと思うのは人間だけの感情。

真っ当だけど「負ける」ということにも意味がある。それも摂理。

森では、木は倒れるときには倒れる。そういうもの。

なんでだよ、おもしろくない、という意識が争いをうむ。

人間は生態系の一部。起こるときには起こる。

それでもやっぱり、ぼくたちはこの世界で生きていく。

そう思える心をもつ。

大丈夫。そういうこと。

健やかであること。

しなやかであること。

何が起きても大丈夫。

この感覚が、森から学ぶありのままに生きるためのしなやかさ。

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森には「生」と「死」が溢れている。

良いも悪いも、意味があるもないも、関係なく、それは全て「喜び」といえる。

「喜び」は、目に見えない。

目に見えないけれど誰もがはっきり感じられるもの。

森には「喜び」が満ちている。いまここで生きている。

この感覚。

この感覚を表現するなら「愛」。

生きる喜びに溢れる「美しさ」。

「愛」と「美しさ」。

経営において「美しい」という感覚が大切になっていく。

ゆっくり、静かに、感じること。

屋久島の原生林


あなたがありのままでいられること。そのあり方が周囲に安心を与える。

ありのままの自分でいられると思える人たちの集まり、これからはこれが会社という単位になっていく。

生き方、働き方、経営の話は一体になる。

すべては生きていくための営みだから。

そう、そのままでいい。ありのままで。


若者たちが本当にそのままで、ありのままで生きていく先につくられる社会が、次の社会になる。

それが必然。邪魔はしない。

大丈夫。そのまま、ありのままで。

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以上「森のような経営」より、心に触れた言葉を僕なりの解釈や表現も交えてメモとして残してみました。ひろしさん、素晴らしい著を世に出していただき心から感謝いたします。


書籍に心打たれた方がいらっしゃれば是非語り合いましょう。


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