空から降ってくる恐怖の大王によって、世界は滅亡する!と言われた年。その賞金は、弟の結婚祝いになった。
コピーライターになってからも、公募ライターなんですよね。
以前、『公募ライターからコピーライターへ』って記事を、このnoteに書きましたが。コピーライターの名刺を持つようになった後も、様々なコンペに応募していた。特にラジオ局主催のコピーコンテスト。東北から九州まで、AM局もFM局も。公募の情報を見つけては、片っ端から応募。当時はネットじゃなく、郵送(時代ですね!)。ワープロ(時代ですね!)を原稿用紙の縦書きモードに設定し、考えては保存、再考して再保存、再再考して再々保存…という作業を繰り返し、〆切(消印有効)ギリギリに出力して、いざ発送。そんな日々だった。初めての入賞は、東北のラジオ局で、佳作。賞状と共に送られてきたのは…500円!のテレホンカード!!(時代ですね!)それを知った、今は亡き父が、ひと言。「おまえの仕事は、儲からんな。」
まっ、それでも。何年か続けていたら、スポンサー賞!銀賞!!金賞!!!グランプリ!!!!ってなことも、たまにあるんですよ、はい。賞金のほうも、1万円、3万円、5万円、10万円、20万円、30万円…って感じで、局によって、賞によって、いろいろ。この歳(もうすぐ57)になった今でも、ときどき、思い出したように応募するんです。ただ、さすがに、当時と同じ熱量で!とはいかず。〆切間近になって気づき、アイデアが浮かんだら送ろう…といった程度なので、年に1度か2度の応募。それでも2~3年に1回、賞にかすって、1~3万円の賞金を手にしてるかな。
空からが降ってきた“ある言葉”で、私はグランプリを予感した。
時は1999年。私は33歳。ノストラダムスの大予言通りに世界が滅亡しようとも、その瞬間までコピーを書いていたい!と、あの頃は本気で思っていた。当時在籍していたのは小さなデザイン事務所だったけど、パナソニックをはじめ、ミズノ、ダスキン、サッポロビール…などなど、メジャーな仕事もやらせてもらえ、クソ忙しい日々だった。深夜帰宅、徹夜、会社泊まり…。あんなこと、よくできたなぁって、今は思うけど。そんな時代だったし、若くもあった。ただ、どんなにバタバタでも、アタマのどこかに公募のことがあった。FMKラジオCMコピーコンテストも、何度目かの挑戦だった。銀賞数回、金賞1回、そろそろグランプリを!と狙っていた。そして空から降ってきたのが、「肉欲」というワードだった。
おかげさまで、予想通りというか、目論見通り、このコピーは見事グランプリに輝いた!賞金は20万円!!何に使おうかな?と思っていたら、4歳年下の弟が結婚する!という、予想もしていなかったことが降って湧いた。そんなことは、ノストラダムスの予言書にも書いていなかった。5歳上の姉、4歳上の兄に聞くと…。姉・兄・私で、何やらいい家具を祝いに贈るから、あんたも10万円な!って。それとは別に結婚式当日の祝いも、10万円は包みや!ですって。いやいや、いいんです。愛する弟のためですから。だけど、もしグランプリを獲っていなっかたら、どうしてたやろ⁉ キャッシングか、あるいはサラ金か。いま考えるとゾッとする。恐怖だ。ま、そんなこんなで、世界が滅亡することも、私自身が滅亡することもなかった1999年。しかし翌年は翌年で「2000年問題」なんてことが叫ばれていたっけな。結局それも、大混乱は一切起きずに終わりましたけどね。
地球が滅亡する瞬間まで書き続けられるかは「?」ですが。やる気が滅亡しない限り、書き続けます(!)ので。では、また!