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かつて、ここには、“ふる里”があった。

ほんの1年くらい前まで…だろうか。この場所には、老朽化した建造物があった。その名も「高級マンション ふる里」。古ぼけた看板に、わざわざ“高級マンション”と書いてあった。ずいぶん前から入居者はいなかったと思う。出入りする人を見かけたことはなかったし、夜に部屋から灯りがこぼれていることもなかった。想像でしかないけれど、建ったのは高度経済成長期。すぐ近くの「住吉団地」も1969年の建造らしいから、同じ時期じゃないかな。そう、前回の大阪万博の頃。(いや、勝手な想像だけど)当時は、モダンだったのだろう。だが、令和のいま、五階建てのそれは、マンションというよりアパートにしか見えなかった。かなり傷んでいたこともあり、レトロと呼ぶにも、なんだかなぁ…だった。去年の4月。桜が満開の時期に、解体工事がスタートした。そして、8月の半ば。気がつくと、更地になっていた。

さすがに、その“高級マンション”の実物写真は撮っていなかった。


1966年生まれの私に、前回の大阪万博の記憶はない。

前回の大阪万博は、1970年。私は4歳だ。兵庫県に住んでいたとはいえ、山奥の奥。近いようで、なかなか行くのは大変だ。ただ9歳の姉、8歳の兄は、父と祖母と一緒に万博へ行った。私は母と留守番。幼いから仕方ないか…との思いもあるが、同級生でも長男・長女たちは連れて行ってもらっていた…のだとか。あれから半世紀が過ぎた今、ある撮影場所に向かう途中、乗り換えの駅で、「太陽の塔」が見えた。解体された“ふる里”への勝手な想像と相まって、当時にタイムスリップしたようだった。そもそも行っていないのだから、大阪万博の記憶はない。あるのは、のちにテレビで何度も見た映像によって刷り込まれた記憶と、行けなかったという微かな悔しさだけだ。

大阪モノレール「万博記念公園駅」から、太陽の塔が“顔”が見えた。


時代は変わり、建物が変わり、人も変わり、すべてが変わる?

解体から1年、更地になってから半年が経ったゴールデンウイーク前、ようやく建築工事が始まるようだ。かつて、ここを“ふる里”として暮らしていた人々は今どこへ?ここに建つであろう新しいマンションも、新しく住む人々にとって、新しい“ふる里”になるのだろうか?2年後の2025年には、新しい大阪万博が開催される。『いのち輝く未来社会のデザイン』がテーマなのだとか。4歳の時には行けなかった万博に、60歳手前になる私は、行くだろうか? 行きたいのだろうか? 未来、というものに、ワクワクした時代と、不安しか感じない時代? 時は流れ、この春も、やがて、あの春になる。

どうやら建築工事がはじまるようだ。


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