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ルイーズ・ブルジョア展で感じた、「アートによる自己救済」

今日から六本木の森美術館で「ルーイズ・ブルジョア展」が開催される。初日に行きたい!ということで、小雨の中駆け込んだのだが、想像以上に救われる展示だったので、ここにアーカイブしておく。結構重めのテーマなので、元気な人のみどうぞ。

ルイーズ・ブルジョア展に個人的に初日に駆け込むほどモチベーションが高かった理由が、森ビルの正面に聳え立つ「ママン」だ。
「ママン」は森ビルの正面に鎮座する、巨大蜘蛛のオブジェ。このアーティストがルイーズブルジョアなのである。「ママン」はそのおどろおどろしい外観と裏腹に、お腹に卵を抱いて子を守る、そんな強い女性を感じさせる蜘蛛だ。個人的な思い出として、いつかの六本木アートナイトに関わっていたり、取引先がヒルズにオフィスを構えている為、ヒルズに通う期間が一定期間あり、よく顔を見合わせる隣人のような気持ちになっていたことがある。そんな親近感により、今回の展覧会が発表された時点で展示を見ればもっと正面玄関のママンが好きになるのではないか、と初日に訪問した。

ママンに関してはArtbillaさんが詳しく書いているようなのでこちらを見ると面白い↓↓


「蜘蛛」の作家というイメージから、「強く生きる女性」作家のイメージへ

ここから展覧会の内容を少し振り返る。
※展覧会の写真やネタバレを含むので、気になる方は読まないでください!

入り口からいきなりインパクトのある作品が出迎え、『第1章私を見捨てないで』が始まる。ルイーズの略歴を確認すると、随分と家族関係に悩み続け、あまり幸福とは言えない家庭環境で育ってきたことがわかる。その影響で、母との関係性に強く執着しているというか、唯一の頼れる存在だったのだろう。その母がルイーズ20歳で亡くなってしまうまでの不安定な心情を表したややおどろおどろしいというか、やや目を背けたくなる作品がずらりと並ぶ。

1911年パリでタペストリー専門の商業画廊と修復アトリエを経営する両親の次女として生まれる。父親の支配的な態度、病気に苦しむ母親を長きにわたり介護していたことが、幼いブルジョワに罪悪感や裏切りの感情、見捨てられることへの恐怖心を植え付けた。1932年、二十歳のときに母親が死去。

 森美術館公式HPより ルイーズ・ブルジョワ略歴より引用
入り口からインパクトのある不穏な作品。
タイトルに驚いた作品。母と子をテーマにした作品多数。

私も家庭環境が良かったわけではない。中学生の時に両親が離婚しており、母が女手一つで育ててくれてここまできた。母は本当に大変だったと思うのでしっかりその分は親孝行していこうという気持ちでできることからしているつもりだが、個人的には離婚した後の生活が非常に快適かつ母も伸びやかになった気がしていた。

というのも、婚姻期間中は普通に穏やかに生活するにしてはあまりに大きなハードルがあった。例えば、いわゆるDVみたいなものを目の当たりにしていた。当時は必死で止めに入ったりもしていたことを覚えている。止めようと入れば巻き添えを喰らい、物理的な被害に遭う。あの時叩かれた痛みというか、冷たい、愛のない、一方的な刺激は今でも覚えている。今冷静に俯瞰してみれば、問題が起きた時、暴力で解決するしか方法を持たないかわいそうな人だったのだろう。

そんな言語で解決できないような人間が相手だったので、母も次第に非論理的な思考というか、マイナスな感情に支配されるようになっていた。そんな日人道的な環境にいたのだからそれはそうだと今は納得できるものの、当時は訳も分からずそうした絶望的な感情で子供にあたるのだからたまったものではない。

そんな経験をルイーズの家庭と照らし合わせ、薄暗い、救いようのない絶望みたいなものを感じ、あまり写真を撮る意欲が湧かなかった。見慣れたはずのママンの姿も、この展示の場では巨大蜘蛛が大きく手足をくねらせ、何か大きな絶望感とか恐怖と戦っているようにも見える。

躍動感がすごいママン。母と子、というイメージよりは、恐怖とか絶望への抵抗みたいなものを強く感じる。

作品制作で逃す、強い負の感情

『第2章地獄から帰ってきたところ』は、さらに刺激的というか、負の感情がむき出しになった作品群が所狭しと並ぶ。特にここで強く強調されているのが、横柄な父親への否定的な強い負の感情。嫌い、とかそういうチープな言葉では表せない強い強い負の感情の籠った作品群に、また写真を撮る意欲が削がれてしまった。上記記載したように、あまりに自分の経験と酷似しているのである。

第2章「地獄から帰ってきたところ」では、不安、罪悪感、嫉妬、自殺衝動、殺意と敵意、人と心を通わせることや依存することに対する恐れ、拒絶されることへの不安など、心の内にあるさまざまな葛藤や否定的な感情が作品をとおして語られています。(一部省略)ブルジョワは、彫刻を創作することを一種のエクソシズム(悪魔払い)、つまり望ましくない感情や手に負えない感情を解き放つ方法だと信じていました。素材に抗って作業することが、攻撃的な感情のはけ口になりました。また、彼女は精神分析を通じ、自らの作品の多くが父親に対する否定的な感情から生まれたということを理解しました。(一部省略)

森美術館公式HP 構成&作品リストより引用

過去の経験が呼び起こされるような作品が並ぶ中、個人的に印象の強く残ったポイントは3つ。1つ目が、あまりに強い父親への憎悪。特に、父の破壊と題された闇とか、血液とか血生臭い何かを想像させる作品は、カニバリズム的に父親を解体しテーブルに並べるという狂気の作品。父という存在を無視するとか、消してしまうのではなく、どうにかして復讐したい、痛めつけたいという強い憎悪感が作品に現れる。

わかる…わかるよその気持ち…と全面的に同意しつつ、展覧会をまわる。逆らってはいけない親ではありつつも、どうにかしてこの負のエネルギーをぶつけないと本当に物理的に手を出してしまいそうで怖いという感覚。理性でわかっていても抑えるのが難しい衝動性。それをルイーズは作品制作をすることで逃していたのである。でも個人的には作品として残る形でこの表現をするのは本当にすごい。

自分もこの怒りのエネルギーを当時何処にぶつけていただろうかと思い返すと、「音楽」なのである。痛みを知った分その表現力は豊かになり、当時はショパンの悲壮がかなり完成度高く弾けていた気がする(うろ覚え)。音楽は録音しない限り形に残らない。その目に見えない状態が自分には心地よかったので、どんなに時間が経っても残り続ける彫刻にするのは並々ならぬ精神力がいるのだろう。ピアノを弾いて、その強い感情を逃していたことを思い出して若干気分が悪くなりつつも、唯一の救いがこの作品、なんだか文化祭の出し物みたいなペイントの匂いがするのでなんだか懐かしい気持ちというか、ホッとする感覚でいっぱいになるのだった。

「父の破壊」という作品。よく見ると分解された父が手羽先みたいに解体され並んでいる。

2点目は、孤独感と寂しさ。印象的な作品としては、防火扉を何処の家からか剥ぎ取ってきて、高い高い壁を作った作品。入ってきた順路からは壁しか見えず、ぐるーっと回り込むことでようやく中が見えるような展示だ。中にはポツンと椅子とまる鏡が存在し、父親という脅威から自分を守るための砦を作りつつも、一人悩み続けるルイーズの存在を思う。
この作品も個人的には共感の嵐で、父親から理不尽な扱いを受けた時自分の部屋に意地でも立て篭もり続ける経験を思い出す。外に出ると何をされるかわからないし、立て篭もるというのが当時自分のできる強い意志表明であったのだ。電気もつけず、部屋の中に立て篭もると一体何をしているんだろうという虚無感だったり、いつになったら出られるんだろうという孤独感が押し寄せる。自分の意思で籠っているので出ようと思えばいつでも出られるのだが、それでは完全に悪に負けた気がする。そんな救いようのない暗さを思い起こさせる強いメッセージ性のある作品であった。

防火扉の囲いの中、ポツンと存在する椅子と鏡

3点目は、男女が入り混じったり、性別がわからないような人間をモチーフにした作品がたくさんあること。女性の柔らかさと、男性の強さみたいなものを一緒にすることで自分が強くあらねばいけないという強い意志を感じる作品が多い印象だ。個人的に一番印象に残ったのは、男女がガラスのケースに入れられて、混じり合う作品。ただ、この作品はインパクトが強すぎて写真を撮れなかった(ので、気になる方は展覧会で生で見に行ってほしい)。その理由は女性が義足だったか義手だったかをつけているのである。ルイーズ自身は、戦争で手足を失った子のように欠落をイメージしていたようだったが、私自身は再び父親を強く連想する作品だった。

誰かに守ってもらう存在ではなく、自分のことは自分自身で守れるようにならなければいけない。保護者としてではなく、大きな脅威として映っていた父親の存在から、自分自身の在り方を問い直す必要性を実感。そのため、結婚して男性に養ってもらって…なんていう当時でいう王道ルートの未来は想像できなかった。男性に負けないどころかそれ以上稼いで、誰にも依存せずに生きていく。そんな決意をした年少時代を彷彿とさせた。

男女が混ざり合う作品

「芸術は正気を保証する」という救い

ここまでネチネチと薄暗い感想を書いてきた訳だが、作品もテーマも最後は明るい青空で締めくくられる。『第3章 青空の修復』では、重たく辛い経験をしつつも、芸術活動によって精神の安定を図ろうとする試みが紹介される。鑑賞していてようやく一息つけるというか、希望の光が見えてくる展示である。

アーティストとして、自らの無意識の領域に直接アクセスできると信じていたブルジョワは、内なる性的および攻撃的なエネルギーや衝動を、芸術表現として昇華できると確信していました。彫刻をはじめとする彼女の作品は、人間の心理状態を象徴する表現であり、混沌とした自らの感情に秩序をもたらそうとする試みです。

森美術館公式HP 構成&作品リストより引用

青を基調とする作品が多く見られ、またルイーズが楽しかった?母親との思い出のかけらとしてタペストリーを扱い、自分の過去をアーカイブする作品が多数紹介される。辛い過去も作品にぶつけ、楽しい過去も作品としてアーカイブする。本当にルイーズ・ブルジョワという人は天性のアーティストなんだなぁと思いつつも、なんだか救われたような、それを表現した結果アートの世界で認められたことへの羨望の感覚を感じた。ちょっとあまりに長くなってきたので以下、印象に残った作品の写真だけ載せておく。

自分の過去をアーカイブする展示。
強い、強すぎるワード。困難を経験しないと出ない言葉。
足を失った少女から、綺麗な碧い身をつける木がなる作品

最後に今回この展示を見て一番強く感じたことは、「異性のトラウマ」と「アートによる自己救済」の2本だてな気がする。作品を通して結構重めのあまり楽しくない話をつらつらと書いていたが、改めてこれらの経験は自分を自分たらしめる重要な要素であることを実感。今までこうした暗い過去は誰にも知られまい、悟られまいと何重ものベールを被った状態で人と接していた。だが、ルイーズは負のエネルギーを作品として表し、消化するという方法をとった。そんなルイーズ自身の強さや、勇気になんだかとても心温まったし、そんな作品が世に認められているということを知って、ルイーズを通して自己肯定感が上がった。

確実に時間の経過とともに薄れてきているものの、時折見え隠れする影の部分。いつかこんなトラウマティックな過去がある上でも、それをできれば思い出すことなく、思い出しても自己救済としての芸術活動によって楽しい毎日が続くといいなと思う。


<おまけ>ちなみに、ルイーズ・ブルジョワの生涯がコンパクトかつ読みやすく表された絵本があるのをご存知だろうか?色彩やイラストが美しく、読んでいて決して幸せでいっぱい!という本ではないが、苦悶に満ちた中作品制作に情熱を注ぐことで強く生きるルイーズの様子が分かりやすく描かれているので展覧会訪問前後に、予習・復習として読んでみるのも面白いかもしれない。

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