40代半ば、もう、ゆるっとした服をやめる。
2023年5月15日(月)🌔24.9 🌂4:37-18:39
24:立夏 72:竹笋生(たけのこしょうず)
多分。
無印の大型スタッキングシェルフを買うなど、部屋の中に時間とお金を使おうと思っていた矢先に、5月特有の問題が起きた。
服不足である。
長袖一枚+羽織もので過ごせるこの季節、私には、いつも服がない。
カーディガンやGジャン、薄手のコートなど、羽織ものはけっこう持っている。
ないのは、「長袖一枚」だ。
GWに旅行する前など、そのことにいつも困り果てる。持っていく服がない。来週末京都に行くのだが、何を着たらよいのやら。
私はパニック持ちになった時、2つの定番服を捨てた。
シャツと、ジーンズである。
伸縮性のないもの、硬い素材は、もう身につけられないと思った。
160cm、40kg台だった頃の私は、それはそれは、タイトなボーダーシャツとデニムが似合った。
もしくは、襟付きのシャツを第1ボタンまで閉めて着て、サブリナパンツと合わせるのが好きだった。「そういうのがMちゃんっぽいね」といつも言われていた。
私は、もう長らく襟付きのシャツを着ていない。
そしてこの13年間、長袖一枚の季節は、何枚かのボーダーシャツで乗り切ってきた。
もしくは、自分で作った長袖プルオーバー。
ボトムには、ゆったりめのイージーパンツやサルエルパンツ、ロングフレアスカートを履く。
これがずっと定番だった。
しかし、先日金沢に帰省した際の写真を見て、「改める時がきたかもしれない」と思った。
ボーダーシャツにインド綿のロングスカート、スニーカーを履いた私には、何かを捨てた感がただよっていた。
加えて、母から「あんた、もうきちっとした服着んくなったんやね」と言われたことがとどめをさした。ような気もする。
母にとっても、かつての私と現在の私は印象が変わってしまったと寂しく感じられたのかもしれない。
40歳をすぎて体重が50kgを下回ることはなくなったが、胃腸が弱く食が細いので今も普通体型ではある。
が、何かが違うのだ。あの頃とは。
40代半ばでボーダーシャツにイージーパンツを「ゆるっとかわいい」で成立させるには、靴や小物、髪型、バストメイクなど、スキのないテクニックが必要になってしまった。それができなければ、今の私にボーダーは、けっこう危険だ。
ヒールやパンプスは特殊な足なので履けない。バッグも身体への負担を考えると機能性第一だ。
そうなると、結局「シャツを着るのが一番きちんと見える」という答えに辿り着く。
なおかつ、幸い、昔に比べてジーンズも、生地が柔らかくなっているし、太めのストレートが流行っている。
まずは、いわゆるZOZOブランドの、手頃な太めのストレートジーンズを買った。
ゴムや紐のないパンツを履くのはいったいどれくらいぶりだろう!
Lサイズなら、ゴムがなくても余裕でトップスをインできた。
苦しい感じもしない。サルエル風のイージーパンツを手放した私は、一気に腰が細く脚が長くなった。
そして、ゆるゆるしない服は、実は動きやすくもあった。
(英国在住経験のある友人いわく、欧米では、「動きやすい服装」とはフィットした服を指すそうだ。洋服の国と和服の国の考え方の違いだと思う)
今年の夏は、シンプルなTシャツにジーンズだけでも乗り切れそうな気がするので、ひとまずシャツはこれから調べることにした。
とはいえ、この心境にたどり着いた背景は、決して否定的なものばかりではない。
幸い40代後半になってもそれほど太らなかったし、「男顔、骨格ナチュラル、黒髪」の要素を揃えているおかげで、本当はもともとシャープできちんとした服装のほうが似合うのだ。
ゆるっと系の服はある年齢になればある程度みんな似合う。が、自分にはパキッとした服が似合う要素が多分にあるのだから、それを生かしてあげたいとも思ったのだ。
特に、この節っぽい独特の骨格は、父から色濃く受け継いでいて、自分らしくて気に入っている要素だ。
趣味の合う友人知人はたいてい、ゆるっと系の服装をしているが、私はせっかくこの体型と顔なのだから、そこは違ってもいい。
でも来週には、またゆるっとした服を着ているかもしれない。
まあどちらかに決める必要はないということで…。