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【day120〜122】 センチメンタルな旅

2024年1月5日(金)〜1月8日(月)
24:小寒 72:芹乃栄(せりすなわちさかう)

このあたりから怒涛の日々が始まるので、instagramの投稿そのままが多くなります。

本来なら金沢に内見へ行く予定だった三連休。
中日の日曜日、ようやく時間に余裕が出てきたので、夫と出掛けてきた。

あと、東京でやり残したことは何だ。
そうだ、昔過ごした街へ行こう。あと、都電荒川線に乗っていない。
私にとっては、さよなら東京。夫にとっては、さよなら日本。

中野へ電車で行き、結婚前に夫と時々訪れたパスタのお店へ行く。
かつて暮らした新井の物件は、同じマンション名のままきれいに建て直されていた。
ドコモのシェアバイクに乗り、ひたすら早稲田通りを走り、文字通り早稲田に至る。
結局初詣は地震の知らせのせいでまともにできなかったので、かつてクラスメイトと夜ふけにおしゃべりした穴八幡宮にお参りした(実際には行列がすごかったので遠くから手を合わせたのみ)。ちょっと目を離したすきに、夫は文キャン隣の鯛焼き屋で鯛焼きを買っていた。

大隈通りを走り、シェアバイクを返却し、都電荒川線に乗る。
初めて乗る荒川線は、座席が少なくて、夫とは通路を挟んで離れて座る。
おまけに進行方向と逆向きで慣れるまで少し吐き気がした。

景色を見てなにか思っても、距離があって夫に話しかけることはできない。車窓から西の空の弱々しい光を見つめていたら、涙がぼろぼろ出てきた。
もうすぐ、どうでもいいこと、些細なことを、いつもすぐ隣りにいて話しかけていた人は、日本からいなくなる。不安になっても、怖い思いをしても、それをすぐ報告できる人はいない。
zoomでもなんでもある。でも時差もある。これからずっとこんなふうにすれ違うのだ、何年も。

となりにいたベビーカーの赤子は、私の不安をよそに、たいがい私を興味深くじっと見る。
笑顔をつくることもできる。希望はどこにでもある。そう分かっているけれど。

早稲田でも、中野でも、私はひとりで世界に開いて生きていた。
年を取るほどに弱くなることは、だめなことなのだろうか。

三ノ輪橋の商店街は、味わい深いけれど少し寂しかった。
日比谷線で中目黒まで戻ってほっとしている自分がいた。

怒涛の日々の前の静かな一日。
この翌朝、「2部屋空いているからどっちかには入居できるだろう」と構えていた翌週内見予定の第一候補の物件が、すべて埋まっていることに気づき、愕然とする。ネット上で「申込済」の赤い文字が踊っている。
そう、被災者が次々と金沢の物件を埋めはじめたのだ。
電話をかけて確認したのだが、やはり間違いなく、「すみません、この連休中に能登の人が内見にきて、バタバタっと決まってしまいました。」と不動産屋。

この物件以外に、現実的に心身の健康を得て暮らせそうな部屋はこの時点でなかった。
猫が2匹飼える物件はかくも少ない。

がけっぷちの部屋探し、ひとつ詰んだらすべてが詰む。
予定通り内見に行っていたら。この窓辺の眺望を猫たちにプレゼントできたのに。
私の心身もある程度健康が約束されそうなのに。
ここに住めるならがんばろうって、まあまあ思える物件だったのに。
悔やんでも悔やみきれない。今のところ調べた中でベストな物件なら、内見しないで申し込めばよかった。
申し訳ないが、とてもではないが「被災者のみなさん、ペットと暮らせるお部屋を見つけられてよかったね」と思う余裕はなかった。

この日の夜の私は、「住む部屋がない、住む部屋がない」とふたたび半狂乱になりながら、部屋を彷徨うことになる。



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