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優しい手

2023年5月25日(木)🌓5.5 ☀4:30-18:46
24:小満  72:蚕起食桑(かいこおきてくわをはむ)

前回の、「40代半ば、もう、ゆるっとした服をやめる」が思いのほか伸びている(私にしては)。やっぱりみんな、ファッションの話好きなんだなあ。
あれからもう一本ジーンズを買いまして、そこから派生して、「ジーンズに合わせるあれもこれも必要、でもこれまでより楽かも!」という現象が起こっているので、またおいおい書きます。

さて、京都へ行って、帰ってきました。
京都は私にとって「推し」。定期的に遠征しては、「実在した〜!」と感動する街。

どこへ行った、何を見たなどはいつものinstagramをご参照ください。
下の写真は、今回の旅の最初の目的地、河井寛次郎記念館の看板猫、えきちゃん。
吹き抜けから階下を見下ろしている図です。このあたりにいるお客さんの膝の上に、次々のってはくつろいでいたえきちゃん、私もぺたんと飴色の板張りの床に座ってみると、すぐに膝の上にのってきました。

おそらく高齢

しばらくして彼女はおもむろに立ち上がり膝から降り、お尻をこちらに向けてしっぽをぴんと立てて、歩き出そうとしました。
その際、うちの猫にいつもするように、彼女のお尻をかるくポンポンポン…としたところ。

私の右手の親指の付け根の肉が破損する音がしました。
彼女が素早く振り返り、あっ、これはうちのスイちゃんの甘噛みとは違う、と気づき、その野生に震え上がり、実際に噛まれるまで0.1秒くらいだったでしょうか。

流血を自分のティッシュで拭きもう片方の手で圧迫し、心臓より上に右手を挙げ、謎のポーズで階下の受付に行きました。
ベテランと思われる係員の女性2名、消毒液やらティッシュやら絆創膏やらを持ってきてくれました。
必死で対応してくれながらも、「あの穏やかなえきちゃんが」と信じられない様子。

これだけ不特定多数に接する看板猫、何の注意書きもないということは、長年の間、誰に何をされても猫パンチすら放ったことがなかった子なのでしょう。

尻ポンが嫌いな猫はもちろんいるし、嫌なタイミングもあるでしょうが、しっぽを立ててお尻をむけていた彼女がなぜ私をここまで攻撃したのか、今でも謎のままです。

(新幹線の中でハンカチに垂らそうとして、ラベンダーオイルがどばっと出てしまった、その香りのせいかな…と思ったが、私の膝の上で普通に撫でられていたしなあ)

自分は猫に慣れているという私の慢心を突かれたのか。
行きの新幹線を一人でがんばれた代わりのプラマイの何かか。
もしかしてうちの猫が乗り移って嫉妬したのか。
そんな考えがあれこれ渦巻き、相変わらず事実をただの事実として捉えられない自分に呆れ、不要な自己嫌悪に陥いる自分をさらに嫌悪もしました(めんどくせえ)。

猫に噛まれて猫を得る

こちら、お詫びにと、記念館の招待券を差し出してくださった係のかたに、「遠方でなかなか来れないので…」と告げたところ、わずかなやりとりの結果、私が欲しかった猫のカード立てを頂戴することになりました。

血とひきかえに得た猫だぜ。

猫は肉食獣です。うちの蚊の鳴くような声でしか鳴かない子らだって、やろうと思えば私をズタズタに引き裂き骨を砕くことだってできるのです。
彼女らがそれをやらないのは、私が彼女らの爪を切ろうが目薬を差そうが、大目に見てくれているからというだけなのです。

奇跡だな。ありがとうなあ。うちの猫。

うちの猫は皮膚トラブルが多い。これからの気温と湿度が上がる季節、私はスイちゃんの顎に毎朝薬を塗ることになる。油断すると、毛の下に菌が繁殖し、瘡蓋状になって、彼女が強く掻いて流血、という事態になるのだ。
別に痛い思いをさせたり、病院に連れていくわけでもないのに、塗られた後の猫は「なんてことするの」という顔でしばし私から逃げる。
そんなとき私は幼い頃、母に目薬を差されたり、薬を塗られたりした時のことを思い出す。
それは決して気持ちのよいものではなかったが、そうっと、でも確固たる意志を持って触れる、母のガサガサとした手は、優しい手なのだと、子ども心に感じていた。
この子たちにも、私の手が優しい手であることが、どうか、伝わっていますように。

というわけで、もしも今後河井寛次郎記念館に注意書きが貼られたら、その始祖は私です。
でもここは素晴らしい場所なのでまた来たいです。
降り続く雨の中、ずっと雨宿りしていたかったとすら思いました。

※動物に噛まれて流血した場合は、本当は病院に行ったほうがよいですよ!

奥には巨大な登り窯もある

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