金沢(地元)はパワースポットなのか
2023年5月7日(日)🌕16.9 ☂️4:44-18:32
24:立夏 72:蛙始鳴(かわずはじめてなく)
金沢に帰省してきた。どこへ行って何を食べたかなどは、そのためのinstagramへ。
ヘッダー写真は、子供のころ自転車で日常的に来ていた名もなき海岸。石川県には遊泳禁止の名もなき海岸がいくらでもある。しかもなかなかに広大な砂浜を有している。日本の地方ってだいたいそういうものだと思うのだけれど、違うのだろうか。すべての浜辺に名前があると思うなよ。
ちなみに地震ですが、金沢と珠洲は100km以上離れているということで。
海は鎮まっていてほしい。
連休の間を狙って帰ったら、たまたま天候にはとても恵まれた。新緑は美しく、川は美しく、皆が言うように金沢というのはそれはそれは美しい町なのだろうと、他人事のように不思議に思う。
自分の地元だからよく思えるのか。いや、自分の地元でなければもっとよく思えるのか。金沢が最悪に面倒くさい土地であることもよく知っている。私は金沢のことを客観視できない。
いっぽうで実家に関してはいろいろと絶望的である。親が頑固で言うことをきかない、認知機能が衰えている、きょうだいが頼りない、家が古くて汚い、モノが多い等、あらゆるよくある問題はすべて存在している。
ところが私は、ひとりだけ遠方へ嫁へ行った末っ子である。この先まったく実家と関わらずに生きることだって可能なのだ。それは恵まれていることかもしれないが、同時に口も出せないということでもある。最も客観視できる立場なのに何も提案できない。本当に、このことに関しては、いろいろと苦しい。いや、苦しくないのか。苦しくないのがつらいのか。よくわからない。
そんなこんなもあってなのかわからないが、夫の同行がありながら、行きも帰りも飛行機がなんだか怖かった(はあ、日々瞑想しよう)。
残念ながらおそらく、実家には当分帰らないだろうなと思った。
でも今後も金沢には通いたい。どこか外で泊まるか。
唯一の救いは、高3の甥っ子。案外勉強ができるらしく、地元の国立大学を狙ってやる気を出しているとのこと。
高校から始めた弓道もとても熱心にやっていたらしい。
覇気がなくゲームと戦隊モノにしか興味のなかった中学までの彼のことを考えると、これは本当にうれしいことだ。きっと、褒められる経験をいくつもしたのだろうな。
料理もするしお菓子も作るらしい。すばらしい。
金沢にいる間はあちこち動き回ってけっこう元気。いっぽう、東京へ戻って日常が始まると、なぜかいつもずっしり疲れている。ちょっとスーパーへ行って帰ってくるだけで、いったんぐったりと座り込む。
実家にいる間は、一戸建ての動線の悪さや、枕元にいつものグッズがないこと、そしてカビや埃の多い古い家に辟易していたというのに、なぜか元気なのである。なんなら、10代の時のように、あれをやりたい、これをやりたい、書きたい、作りたい、などの気持ちがむくむくとわいてくるのだ。
やはり東京の自宅では、自分で家事をまわしていかなければいけないというプレッシャーが何より私を疲れさせるのか。
それとも、自分のペースで動けすぎる生活は、ちょいちょいスマホタイムを挟みすぎるのか。
家にいると甘いモノを食べすぎるからなのか。
それとも単純に、東京が都会すぎるのか。
部屋がまあまあ綺麗で使い勝手がいいのに疲れる東京の部屋。
使い慣れない部屋を起点に動き回っているのに、なぜかあまり疲れない旅や帰省。
というわけで、今日は、毎度やっては挫折するSNSダイエットと、甘いモノひかえめで様子をみている。
それとも金沢という土地は私にとってやはり、ある意味パワースポットなのだろうか。それが地元だからなのか、金沢だからなのか。
単にいわゆる「日常を離れてリフレッシュ」しただけなのだろうか。
えっ、普通だな。最近人生のあらゆる真理が、ありふれた言い回しで表現できそうな気がして私は怖い。年をとるとは、こんなことに気づくということか。