
清泉寮が大好きだ
この文章は、雑誌『ケトル』が募集している、「#わたしの大好き」企画のために1500字でまとめたものです。
清泉寮に関しては以前も愛を爆発させましたが、誰に頼まれるでもなく、私しか爆発させられない数少ない「大好き」のひとつだと思ってここに改めて記します。
また、フリーランスの仕事が現在宙に浮いていることもあり、その間の習作も兼ねています。文字数、だいじ。
甚だピンポイントではありますが、どうぞよろしくお願いします。
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高度1400m、山梨県の清里高原に「清泉寮」はあります。清里、小淵沢あたりは都民にとって身近な行楽地で、GWには多くの人が「清泉寮」併設の売店やレストランへ、濃厚で甘いソフトクリームを食べに集まります。牧草地から富士山を臨み、手にソフトクリームを掲げて写真を撮り、美味しくいただいた後はすぐにクルマで去ってしまうのです。
私は泊まって過ごす清泉寮のことしか知りません。夫が「古くて良さそうなホテル」だといってネットで偶然見つけるまで、その存在を知りませんでした。もとは戦前、キリスト教に基づいた教育の場として建てられた研修施設で、現在は誰でも泊まれる宿でもあり、牧場やショップ、ミュージアムなどを一帯に併設しています。
初めて訪れたのはある3月の連休。雪が残る牧草地では、ソリで遊ぶ子どもたちの声が弾けていました。私たちは宿の周りの牧草地や散策用の小径を歩いたり、自然観察の小さなガイドウォークに参加したりして過ごしました。清泉寮のシンボルともいえるアンデレクロスを掲げた本館と、あまりにも澄んで乾いた青空、背後の雪を頂いた八ヶ岳を目にした時に、ここは天国に一番近い場所だと確信しました。それ以来GWを中心に、なるべく年に一度は1泊か2泊かするのを楽しみに中央道にのります。
清泉寮に来るたびに、「この場所には良きものしかない」と思います。善良な人しかいない村のようなのです。チェックインをするのはまだ新しい木の色と、北欧的な明るい色で満ちた新館で、館内に入った瞬間から薪の香りと暖炉が出迎えます。この木の香りは、新館でも、歴史が刻まれた本館でも、どこでも香り続けています。
清泉寮は、おしゃれではありません。清潔感があって、何もかも美しいのですが、流行や、誰かのセンスによっては、まったくもって支配されていません。清里の動植物にまつわる手作りの展示だとか、新館・本館のロビーに並ぶ星野道夫や月の満ち欠けやシュタイナー教育の本だとか、そこで目にするものは何だって、善良で少し浮世離れしています。
清泉寮に行って、嫌な思いをしたことは一度もありませんが、かといって、フロントが神対応だったとか、何か先回りしてくれたとか、そういった記憶も特にありません。働いている人の印象が薄いのです。比較的安価に宿泊できますし、風呂トイレ共同の部屋もたくさんあります。誰かから何かのサービスを受けることもなく、私たちは、野うさぎの足跡や鹿の角を探したり、スタッフによる夜の森の生き物の話に耳を傾けたり、暖炉の火を見つめながらコーヒーを飲んだり、時間を忘れて卓球をしたりして、自分で楽しみを見つけるのです。大人も子どももです。
そもそもここは首都圏生活者にとって、笹子トンネルという長い長い結界を超えないとたどり着けない異界でもあります。清泉寮エリア入り口の牧草地帯に車が差し掛かると、道は不思議に広く整備され、電柱もなくなり、霧が立ち込めて、生活のにおいは消え失せます。
本館に横たわる敬虔な空気、新館にひっそり佇む祈りの部屋。増築に増築を重ねた館内の廊下を、夜しずしずと大浴場に向かって歩くと、「巡礼」という言葉が浮かぶのです。そして、窓の外をさっと、ふわふわのリスが通り過ぎます。ここは、「この先は人間の住むところじゃないよ」と、山や森がささやきかける場所です。私たちは頭の半分を森の世界につっこみ、ほんのひととき間借りして眠るのです。
冬眠展示のニホンヤマネも目を覚ましてしまったなあと思ったら、もう5月です。都民の私は小仏トンネルを越えてはなりません。東京の夜はとても静かになりました。私は夜眠りに着く前、真っ暗な部屋で、ここは高度1400mだと言い聞かせることがあります。夜行性のヤマネは今頃スルスルと枝を降り、花の蜜を吸っているでしょうか。ストイックさのかけらもないあの朝食ビュッフェの、ジャージー牛乳をたっぷり浸したフレンチトーストを、多めに皿に盛れる日を夢見て眠ることにします。