いつか誰かの為に怒れる時がきたら、大事な気付きがあったりするんだろうか。
「なんでこの商品ってここなんですか?」
でた。またなんか言ってきやがったな。
目の前の秀才野郎に舌打ちする。
「いいから黙って置けよ」と言いそうになる口を、愛犬のポメラニアン、アリスを思い出してなんとか封じ込める。
「だってここ、1番奥だし、なかなかお客さんが見ないじゃないですか。
なのに結構高くて需要ない物をここに置いてもますます売れないっていうか」
「文句は店長に言ってください。とりあえず今は、ここに置く決まりなんで」
そう言い切ると、お客さんがレジ前で目配せしてきたので足早にレジに入った。
腹が立つ。
こっちは時間内に教えることに必死な訳で、そんな細かいことまで言わかれてもめんどくせえだけなんだよ!
早く品出しを教えてから、裏の作業も教えたいのに…。
「田中さん。レシート、雪崩れてます」
客が帰った後、言われたのがこれ。
ブチギレんぞ、まじで。
気付いたなら自分で行動しろや!!
「木田くん。あのさ、それ別に木田くんが拾ってくれても良くない?」
「え、でも教えて貰ってないし。
勝手に行動するべきじゃないですよね」
「………。レシート雪崩れてたら拾う。
そんなことまで教えなきゃなんないの?」
「…あー。悟れってことっすね」
木田くんは背中を丸めて、レシートを拾い始める。明らかに納得してない雰囲気だ。
ダメだ、これじゃあ前と同じ。
こいつも一週間持つか分からない。
「ありがとう。
拾ったら、一旦この箱に保管。
日付け変わったら捨てるから、覚えてて」
「え、保管するんすか」
「そーだよ。たまに探しに帰ってくるお客さんいるからね」
「…へぇ。めんどくさいっすね」
木田くんは箱を見ながら、どこを見てるか分かんない目をしていた。
イライラする自分を可愛いアリスで癒す。
隣のレジにいた中国からの留学生であるリンさんが「レジフォローアリガト」と会釈してくれた。
リンさんと木田は同い年で21歳らしい。
日本と中国で教育が違うからか、何なのか自分が馬鹿なので全く分からないけど、リンさんの方が信頼出来るのは何故なんだろう。
「じゃ品出し再開するよ」
「すいません、お手洗い行っても良いすか」
木田くんはそう私に問いかけつつ、もうバック(店のお客さんから見えない事務室)のトイレに足を運んでいる。
「…どうぞ〜」
気のない声が出る。
ここで私が止めたら、パワハラだのなんだの言われるんだろうか。
「あのヒト、おもしろいね」
「わ!!!びっくりしたぁ」
後ろからリンさんに話しかけられた。
いつの間にここに??
「あのヒト、持って3日ダネ」
「やめてよ!縁起悪い!」
「エンギ?エンギ、ワルイ?何が悪いってこと??」
「えぇ?えーーと、運悪くなるというか。…ラッキーの反対?的な?」
「へぇ。unlucky、日本語にするト、エンギワルイ?」
「んーー…。なんか違う気がする」
リンさんがもう少し詳しく聞いてきそうになる位に、木田くんが帰って来た。
なんと私服の木田くんだった。
「お腹痛いんで帰ります」と言って綺麗にお辞儀し退店していく木田くん。
その背中を私とリンさんで呆然と見る。
軽快に自動扉が開く音が店内に鳴り響いた。
「……3日、ハズレだネ」
「最悪すぎ」
たった今記録がまた更新された。
これで私は10人辞めさせたトレーナーになってしまった。
「でもあの人、早退。
まだ辞めるかわからナイよ」
「えっ?!あれで辞めないとかあるの??
逆に気まずいよ!辞めろよ!」
リンさんは笑いながら、レジに戻っていった。
私はすっかり肩を落とし、品出しに戻る。
店長に報告…考えただけでも憂鬱。
というか店長の人選が悪いのでは?
私だってトレーナーなんてしたくないのに。
「…私、やっぱ若い子苦手かもなぁ」
10人が全員木田くんみたいな人ではない。
色んな人間がいた。
それでも皆、終わりは同じ。
不満そうに辞めていく。
…とりあえずタバコだ。
こういう時はタバコが必要。
私は作業の手を早めた。
「1日目3時間で早退かぁ〜…」
遅番でやってきた店長が難しい顔をしながら、あははと力無く笑った。
「思い当たる原因はある?」
キイ、と店長が腰掛ける椅子が鳴って、私と店長は向き合う。
「…木田くん、教えてる時にかなり細かく聞いてきたんです。商品の場所の理由とか、2人で回す理由とか安全性とか、店内の清掃は別のスタッフを雇えば良いんじゃないかとか」
「ほお」
店長は腕を組み、苦笑いした。
「正直面倒だな、って思ってましたけど最初はなるべく答えるようにしてて。でも後半は私も言い返しちゃって、不満そうでした」
「なるほどねぇ」
沈黙が流れる。
「…まぁ人選が悪かったな」
ごめんな、と店長が謝る。
「正直、最近こんなのばっかりでトレーナーとして挫折しそうです。てかもう若い子アレルギーになりそう」
店長が声をあげて笑った。
「確かに。俺も発症しそう。
いや〜、酷いね。ほんと。
日本の未来が心配だ。
木田くん、そこそこ頭良い大学生なんだよ」
「やば。私高卒だけど、正直地頭は勝ってる気がします」
今度は二人して笑う。
少し間を空けて、店長がゆっくりと話し始める。
「最近若い子と接した田中さんだから聞くんだけどさ」
こういう時の店長は、学校の先生みたいに感じる。
なんでなんだろう。
「怒られる経験についてどう思う?」
なんだか深い質問だ。
道徳の授業を受けている気分になる。
狭い頭の中をごちゃごちゃと整理して、必要なものを引き出す。
怒られる経験…。
「必要だなと思います。
メンタル強くなるし、何より人間関係学べます」
そっかぁ、と店長が呟く。
「ありがとう。戻って良いよ。
また面接あるから、雇ったらよろしく」
「はい、こちらこそよろしくお願いします」
お辞儀をして退室する。
扉が閉まると肩の力が抜けた。
店長は優しいが、時々こんな風に意味深な質問をされるので試されているのではと思ってしまう。
果たして『若い子と接した田中さんだから聞くんだけど』の回答として相応しかったのか
…?
考えても答えは出ないので、止めた。
リンさんが1人で回す店内に戻る。
すると、何やら不満そうな男性客の声が聞こえてきた。
「だからこれ、割れてるだろ。
分かんないかな〜〜。別の人呼んで」
リンさんが慌てふためていていたので、急いでフォローに入る。
別の客2人もチラチラとこちらを見ていた。
「すいません、何かありましたか?」
「これ、不良品。返品と返金、早くしてよ」
客が指差すのは卵パックだった。
確かに3つくらい割れて黄身が垂れている。
リンさんが小さな声で「おかしいヨ」と呟く。
私は即座に状況を整理する。
なんでこの人、割れてるの気付かずに買ったんだ?
それにこれだけ割れてたら私達も気付くはず。
「あの…レシートお持ちでしょうか?」
「レシート?そんなの捨てちゃったよ」
「…いつ頃買われましたか?
店内で捨てられました?」
「今日の朝…ここで捨てたかなぁ。
詳しく覚えてないけど、これは返品だろう」
「はい。ですが…それにはレシートが必要になります」
「はぁ?!これはお前の店の問題だろう。
こんな物買わせといてよく言えるな!」
急に声量が上がった。
さてはコイツ、クレーマーだな、と悟る。
「卵が割れていた件については大変申し訳ありません」
「大体、この卵も高かった。なのに質も悪い。なのに返品、返金も出来ないなんておかしいだろ!頭悪いのか??」
男は怒りのスイッチが入ったのか、大声で怒鳴り始めた。
私はバレないようグッと拳に力を込める。
「これはどう考えてもおかしいだろう!
なんですぐ対応しないんだ。
レシートを捨てたこっちが悪いのか?
履歴とか残ってないのか?
大体接客もなってない。
コイツ、さっき俺におかしいって言ったぞ」
男はリンさんを指差す。
「そうでしたか」
「謝れ、不快な気分になった」
「申し訳ありません」
「お前じゃなくて、コイツだ。コイツに謝らせろよ!俺がおかしいだって?何がおかしいんだ!明らかに割れてるし、そっちが全面的におかしいだろう!」
どう店長を呼ぼうか…と思いながら、男性客に相槌する。
「レシートが無くてもこれだけの理由がある。これで返金されないなら、訴えるからな!俺に対しての侮辱行為も加えてだ!
恥ずかしいと思わんのか!」
思わんよ。
思うわけねーだろ。
てか今私達も侮辱されてますけど。
そんなイラついた感情を表情には出さず、相槌を必死にする。
少し間が空く。
相手は全部吐き切ったのか…?
「…何とか言ったらどうなんだ!」
少し声量が弱まってきた。
タイミングだろうか。
「不快な思いをさせてしまって、大変申し訳ありません。
まず、卵に関しては、大変申し訳ありませんでした。質の管理等改善致します」
「そうだな、なんでこんなに割れるのか問題があるに決まっている」
「ご指摘頂きありがとうございます」
時間をかけてお辞儀する。
「そして卵の返品、返金ですが、やはりレシートが無いと現時点では出来ません」
「はぁ?!なんでだ!話にならん!その規則はなんだ?法律なのか?誰が決めたんだ?決めたやつを出せ!」
視界に会計をしたそうな客の姿が見えた。
…さすがにレジフォローを鳴らそうと思った時に、丁度良く店長がバックから出てきて隣のレジに入ってくれた。
多分裏で見ていたのだろう。
お客さんが店長の方へ進む。
ふぅ、一安心だ。
「責任者に確認し、状況によってはレシートが無くても可能です。お時間頂きますが宜しいでしょうか」
「なるべく早くしろ!」
商品を預かって、今日の分のレシート箱を持ちバックにリンさんと入る。
入った途端、「おかしいヨ!あいつ入って来る前に卵落とした!私見てた!」
「はぁ〜、やっぱね。そうだと思った」
「ならなんでそう言わなイ?」
「会話出来ないやつとまともにやり合っても時間の無駄だからよ。とりあえず今はレシート探して」
間も無くして店長がバックに入ってきた。
「どう?」
「今のところレシート無いです」
「オーケー」
店長はそう言うと、卵を持って出ていく。
私達もそれに続き、少し距離を置いて様子を見た。
「お客様、大変お待たせ致しました。責任者の藤田です」
男は店長を見てさっきまでの勢いが少し薄れている。
男性ということに驚いたのだろうか。
「色々と確認させて頂いたのですが、履歴が見当たらず、すぐには返金出来そうにありません…。
履歴が見つかったら必ずこちらからご連絡させて頂きますので、連絡先を教えて頂いても宜しいですか?」
「どのくらいで分かるんだ」
「そうですね、まずレジの履歴をひとつずつ確認致します。加えて防犯カメラでの確認なども行いますので…明日の12時前位には」
男性は少し文句を言いながらも、店長のペースに巻き込まれていく。
「卵は良かったらお持ち帰り下さい。要らなければ勿論お引き取りしますが…」
「なら貰ってやるよ。顔も名前も覚えたからな。必ず連絡しろよ」
男はそのまま退店した。
店長はにこやかに、ありがとうございました〜、とお辞儀する。
「さて、履歴確認して明日連絡しとくね。何かあればこの後聞かせて。2人ともありがとう」
店長はそのままバックに下がった。
リンさんは不満そうだ。
「どうしてあんなやつに優しくする?
意味が分からない」
「…中国ではあり得ない?」
「あり得ないヨ!」
「そっかぁ。まぁ、確かに日本が異常なのかも」
「日本人、変な人怒る。
田中さん、怒らないナゼ?」
リンさんの質問とさっきの店長の質問がダブる。
"怒られる経験についてどう思う?"
全然違う質問なのに、同じように思えた。
「…違うよ。さっきの人はもう怒るしか方法が無かっただけ。
私は怒る方法を最後に取っておいた。
でも、正直タイミング逃しちゃった気もする」
ため息をつく。
分かんないな〜…。
怒られる経験、怒る怒らない…。
ふと気付く。
「…怒った経験も大事なのか」
「え?ナニ?」
リンさんが覗き込んでくる。
「あ、今気付いたんだけどさ。
怒った経験、日本人あんまり無いかもって」
そう言うと、リンさんが驚く。
「どうして?」
「私は昔友達とも家族とも喧嘩したし、怒ってきたけどさ。今はほとんどの人が無いのかも。上手く逃げてきた。
だから怒る人の気持ちが分かんなくて、怒られるのが辛いんだ」
「………どうして逃げる?」
「うーん…めんどくさいからなのかな。
なんでだろ。人によって理由は違うかも」
「日本人、怒るのエリア、狭い。
私意見言っただけ、怒ってるように見える、言われた」
リンさんが悲しそうな顔をする。
「怒ってない、私。意見、心、伝えてるダケ」
「それは言葉から伝わる気もするけどなぁ。
難しいね。…でもそれも、怒った経験が少ないからなのかも」
「日本人、意見言わない。でも、裏で文句みたいに言う」
「あ、それ分かる。私も学生の時言われたよ」
「田中さんが??」
「うん。席替え?かなんかで私の後ろが嫌だった女子が居て、ずっとその女子のグループに悪口言われてた。言ってくれれば交換でも移動でもするのにね」
今思い出すと笑える。
そんな出来事すら言い合えないのはちょっと怖い気もするけど。
「中国、嫌なら嫌、すぐ言う。
それ、喧嘩と違う。
ただ意見交換」
相槌を思わず打つ。
なるほど、そうだよな。
「日本来て覚えた、遠慮、配慮、理解難しい。確かに大事。でもときどき怖い」
同調圧力。
その言葉がふと頭に浮かぶ。
この前なんかテレビでやっていた気がする。
「けど、優しさの代償かもしれナイって。
中国の友達、言ってた。
私すごく、納得した」
"優しさの代償"…。
確かに、そうかもしれない。
ふと木田くんや辞めていった他9人を思い出す。
若い子達。
皆、優しさの代償だったりするのだろうか。
じゃあ…
そもそもそれは"優しい"のだろうか?
「分からないけど、今日来て、帰った新しいヒト。あれは遠慮も配慮もないから、おもしろかった。ちょっとバカだけど」
リンさんがそう言うと、すぐにお客さんが来たのでこの話は終わった。
でも、私の頭からは離れなかった。
"怒られる経験"
"怒る経験"
"優しさの代償"
グルグルと頭の中を洗濯機みたいに回る。
今度の新人に、どう接するのが1番良いのか。
きっと私は何か変えなきゃいけない。
来店音が鳴ったので、「いらっしゃいませー」と言いながら入口を見た。
私服の木田くんだった。
無表情でこちらにやって来て、
「今日はすいませんでした、明日からお願いします」とお辞儀をして、退店した。
リンさんと私は思わず目を合わせ、
どちらかともなく笑い合った。
答えは分からない。
でも、木田くんの姿を見て、信じてみようと思えた。
木田くんは頑張ってくれると、信じて教えてみたい。
とにかくまずは、そこから始めてみよう。