本当の自分について考える
[English below]
こんにちは。ヤマトです。
駒ヶ根訓練所での日々を綴る、こまがねだよりWeek7です。
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「今週は特に忙しいなあ」と毎週言ってます。「時間がないからできないことは、時間があってもやらない」と思い出すと、「あぁ、結局今やらなきゃな」ってなります。時間があったら別のことに手を出してしまうタイプだし。かっちりきっちりスケジュールが決まった中でタスクをこなすことが、ちょっと好きなのも自覚しているので、引き続き頑張ります。
先週のnoteで同期と語り合う時間も作りたいなんて書いてたら、早速その機会が訪れました。願ってみるもんだな。話題に出たのは、「協力隊」に対して持つイメージや、2年間の活動イメージについて。自分と似ている考えを持つ人もいれば、真反対に感じる人もいました。そしてパレットでも語ってた、ロジック派と感覚派の話まで。。賛同できたことも、そうでないこともあるからこそ学びは深まるなあと思いながらも、納得できてないものに関してはもう少し議論したいところ。
個人的には、「TEAMとは、Together Everyone Achieve Moreである!」と主張したい。
本当の自分って?
同じ97年生まれの同期と飲んでいた時のこと。どうやら僕は周りの人に対して、少し近づきにくい印象を与えているらしい。僕とその人の間に一枚壁が挟んであるとか、仮面を被って生活しているとかなんとか。そんな話が出ました。
この土日に色々と考えた結果、「人見知りなのだから仕方ないし、どれも本当の自分である」という結論に一旦落ち着きました。
人見知りだから、人見知りであることを隠そうとして前に出ているように見せる。周りの人が何を考えているかに気を配る。その場その場で空気を読み外さないようにして、なんとか体裁を保っている。そんな表現がピッタリ。これは、同期がどうこうという話ではなくて、訓練所という環境がそうさせているようにも感じます。
新しい人との出会いは刺激的だけど、常に肩肘張っている感覚があるからとても疲れやすい。協力隊候補生の同期は、素晴らしい仲間であり、友達です。ゆっくりと時間を重ねて、じっくり話をすることができたら、もっともっと信頼し尊敬できる存在になると思います。
とはいえ、地元の友達に見せる顔。教室の子供達に見せる顔。同僚の先生に見せる顔。一緒に暮らす人に見せる顔。好きな人に見せる顔。同期隊員に見せる顔。
よくよく考えてみれば、全て違って当たり前だよねと。すべて本当の自分だし、偽りの自分がその時生きているわけではない。ただその時の相手によって、自分の中にある一面性が引き出されていく。新しい人に出会えば出会うほど、新しい自分が出てきて、「こんな自分もいたのか」と再認識する。。
そんなサイクルを繰り返して、人間は自分という存在を理解していくんだと思います。僕は分人の集合体が個人である、と考える派ですね。1対1での自分と、1対集団で自分の姿が変化しているのもそう。その場にいる人によって、引き出されている自分が違うだけであって。
それまでに共有してきた時間も、密度も、内容も全て異なるのだから、自分を見せる顔がいくつあってもいい。それは仮面を被っていることでも、多重人格なのでもない。ただ、目の前の人によって自分が引き出されているだけなんだと。そう思います。
とはいえ、「近寄りがたい!」と思われるのも嫌だし、せっかくの機会を失っているようにも思うので、もう少し語り合って中身を知ってもらおうと思います。
今日はここまで。お読みいただきありがとうございます。
よかったら、また来週も読んでください。
◯おまけ
【English ver.】
It might be incorrect, but I'll try writing a diary in English.
I will write this note in English later.