
1970年、新宿に住む (続)
ターミナル駅はたくさんあるが、その中でなぜ新宿駅を選んだのか、この前の投稿の後からずっと考えていた。
最初に泊めてもらった先輩のアパートが、調布にあった。調布駅は、京王線の新宿駅から特急で16分である。つまり、京王線のターミナル駅は新宿だったのだ。
通っていた予備校は、城北予備校である。授業料や入学金など他の予備校の半額であった。しかし、講師の先生の質は超一流であったと思う。少なくとも私にとってはそうだった。どの授業も素晴らしかったし、何よりも講師の先生方に熱意があった。
その予備校に行くには、新宿で総武線に乗り換えて市ヶ谷駅で降り、坂道を10分ほど登ったところにあった。予備校の反対側には、自衛隊の市ヶ谷駐屯地があった。
杉並に住んでいた時の交通の便は、地下鉄丸ノ内線であり、新高円寺から新宿まで行き、新宿駅で総武線に乗り換えていた。
要するに、ターミナル駅の中では、新宿駅が、私にとっては一番馴染があったのだ。
富士山が見えた
新宿駅西口には、京王デパートと小田急デパート、小田急ハルクはあったが、まだ新宿駅西口の超高層ビル群は建設されていなかった。
浄水場跡地が残っていただけで見晴らしが良かった。
浪人中の1970年のことだと思うが、超高層ビル群の最初の建物として京王プラザビルが完成した。最上階の展望台に登ったという記憶がある。
大気汚染がひどい時代で、いつもは空気に青い霞がかかっているような感じで、遠くの山々など見えなかった。
ところが、住み始めて初めて迎えた1971年の正月、富士山が見事にくっきりと見えた。びっくりした。今だったら絶対に携帯で写真を撮っている。
今の超高層ビル群はないし、おまけに街が正月休みで、工場も休みだし、交通量も圧倒的に少なかったお陰で、空気が浄化されたようだ。
新鮮な空気とびっくりするほど大きくくっきりした富士山であった。
アパート周辺の環境
新宿駅の西口からバスに乗ると最寄りの停留所までは5分ぐらいで着いた。バスは田舎とは違い1時間に1本というようなことはなく、ほとんど10分間隔で来る。便利だった。
しかし、よほど疲れていてしんどくない限りは、歩いた。お金がなかったからである。 歩いても20分ぐらいだったので、それほど苦でもなかった。
アパートは、小さな商店街の一角にあった。飲食店も多かった。街の小さなスーパーもあったので、食料品の買い物などには不自由しなかった。
古本屋も数軒あり、店頭に並ぶ5冊100円とかの文庫本をよく買っていた。
当時は、銭湯も徒歩圏内に3軒ほどあった。それ以上あったのかもしれないが、通ったのは3軒である。午前1時頃まで営業していたので、バイトで遅くにしか帰れない日には本当に助かった。
遅くまで営業していたのは、水商売の人が多かったからでは、と当時考えていたが、本当のところは分からない。
質屋通い
いつも金欠だった浪人生にとって助かったのは、質屋の存在である。
徒歩圏内に数件(通ったのは3軒)あった。田舎から友だちが上京してくる時、当然のことながらお金がないので貸してくれそうなものをもってよく通った。
一番良く持っていったのは、1万5千円で購入したラジカセである。これで5,000円を借りていた。「8,000円までは貸す」と言われたが、質草を取り戻す時に大変なので、いつも5,000円を借りていた。といっても3分は質代として天引きされて4,850円を貸してくれる訳である。
2025/01/30追記
(読み直していて、手数料はたった150円?と自分でツッコミを入れていた。自分で書いていながら、本当に大丈夫なのかと心配になった。おぼろげな記憶で書いているので、正確なところは分からない。申し訳ないです。ごめんなさい )
3ヶ月以内に5,000円をもって行けば、質草としてのラジカセを取り戻せるのである。
質屋に通ったのは、西新宿に住んだ、この2年間だけである。
どんな部屋?
2階の角部屋の4畳半の部屋であった。狭かったという思い出しかない。浪人生だったので、机と本棚だけだった。
隣との間は、薄い壁しかないので会話は筒抜けである。お隣さんのため息でさえ聞こえるくらいの部屋である。
西陽がきつい部屋であった。夏はとにかく暑かった。
外壁も薄いので、夏は暑く、冬は寒かった。にもかかわらず石油ストーブが禁止なのである。失火が怖いというので石油ストーブは禁止だし、また、契約アンペアが低いこともあって、エアコンも禁止であった。
だから夏は扇風機、冬はコタツで暖をとるしかないという、ある意味最低の部屋だった。
2階建てのアパートで、部屋数は10部屋だったと思うが、トイレ共同で、キッチンも共同だった。
泣き寝入り
キッチンに私物のやかんや食器などを置いていたら、何度も盗まれた。盗んだというか、勝手に私物化したのは、新しく引っ越してきた人だった。人物は特定したが、何も行動を起こさなかった。
面倒を起こしたくなかったので、自覚的に泣き寝入りしたのを思い出した。
その後の人生も、何か被害を被っても事を荒立てないで泣き寝入りで済ましている。