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ぼくとトイザらスにかかわる、少しばかりのおもいで。ーmatinoteエッセイ・お題「ロードサイド」:その2

今月のエッセイのお題は「ロードサイド」。今回の担当はかぜみなです。

 先日、玩具販売大手の「トイザらス」の米国法人が、会社解散を決定したというニュースを目にした。日本でも1990年代、日本法人の手によって米国流のロードサイド店舗としてまたたく間に全国に店舗網が広がった。
 しかしそんな日本ではなく、トイザらス発祥の地、米国の法人が破産するという、寂しさと、夢の終わりと、厳しい現実が一緒くたにして突きつけられるような想いでいる。

 僕とおもちゃの出会いは、ファミリーレストランのレジ前だったり、ダイクマという神奈川ローカルのディスカウントストアだったりといろんな場所であったけれど、とりわけトイザらスに対する思い出は特別なものがある。
 今年で25歳(平成5年生まれ)になるが、この世代の人々の中には、僕と同様の経験がある人もそれなりにいよう。同じく「ハローマック」というおもちゃ屋に思い出がある人も多いと思う。まさに「僕らはトイザらスキッズ」だったし、ハローマックという「おもちゃのまち」の住人だった。

 神奈川県の厚木市に祖父母の家があった僕は、自宅から厚木の祖父母宅まで、1人で電車に揺られて向かうことが多かった。厚木の郊外にあった祖父母宅に迎えられて、亡き祖父は必ずや「よし、トイザらス行くか」と、実に楽しそうに言うのだった。

 厚木の国道246号線の沿いに、トイザらスがあった。おそらく市一番のおもちゃ屋さんだったと思うが、きっと祖父も孫を助手席に乗せて、お気に入りの演歌を流して、愛車のトヨタ・マークⅡを駆ってトイザらスに行く瞬間を、きっと僕以上に待ち望んでいたのだと思う。祖母はよく「孫が演歌に影響されたらどうするの!」と祖父に怒っていたけれど。

 僕は「CARand DRIVER」や「ベストカー」といった大人向けの自動車雑誌を枕にして昼寝するような、クルマ好きの子どもにしてはだいぶ大人びた幼少期を過ごした。そのせいで当時の僕がおもに熱中していたのは「ミニカー」。しかも大人向けのダイキャスト製ミニカーや、観賞用のモデルであった。
 そういったものは、ディスカウントストアやスーパーのおもちゃ売り場ではなかなか出会えない。トイザらスは数も種類も多い、その精巧なミニカーの数々に僕は心をおどらせて、いろんなクルマをねだっては、祖父に買ってもらった。

 実は、いまの僕がまちのことに目を向けることになった最初のきっかけである「鉄道」との出会いも、「厚木のトイザらス」だった。
 6歳になっていた僕は、ミニカー売り場以外の売り場も見て歩くことが多くなっていた。そんな僕にふと目に留まったもの。それは「鉄道模型」であった。
 あの時のワクワクは今でも忘れられない。ミニカーモデルは1/20と、大きめのスケールだったけれど、その時であったNゲージは1/150という、自動車より大きなものを、より小さく、正確に、精巧にスケールダウンさせたものだった。その造形の細かさに心を奪われた。

 いろいろ見て回って、線路と車両がセットになったスターターセットを祖父にねだった。祖父は意外そうな顔をしたが、すぐ「分かった」と買ってくれた。当時からイレギュラーなわがままをすることが苦手だった僕は、値段がより高額だったこともあってずっと売り場をうろうろして迷ったのをよく覚えている。電気機関車のEF66と、ブルートレインの客車が数両つながった入門セット。EF66は取扱いを誤って、パンタグラフを破損させてしまってからは走らせることはめっきり減ってしまったが、捨てられない大切なものだ。

 その後、祖父は亡くなり、祖母はクルマを運転しないので、マークⅡは親戚の家へと旅立っていった。クルマでないと行きづらい国道沿いのトイザらスは、僕が成長したこともあって、いつからか行くことは無くなっていった。
 僕と祖父とトイザらスの関係は、こうしていつの間にか終わった。

 祖父が亡くなってから、ふとした時に祖父の幼少期のことを聞いた。祖父の家は北区の王子にあった。そんな祖父は田端の操車場を遊びの基地にしてよく出入りしていたのだそうだ。鉄道に身近に育った祖父は、鉄道が好きだったのかどうかは分からないけれど、池袋にある、鉄道員養成で知られる昭和鉄道高校に進学したのだという。
 祖父は結局鉄道員にはならなかったが、そんな祖父は、孫が鉄道と出会った瞬間を、どう思ったのだろう。聞いてみたいけれど、もう叶わない話だ。

 想い出は空間に紐づけられる。場所を思うことで、そこにかかわる人の関わりと想いが思い出せる。亡き祖父との想い出、いまのわたしの原点、大切なものがトイザらスにはたくさん残されている。僕と同じように大切な思い出を持つ人は少なくないはずだ。
 いまでも厚木の店は元気に営業しているけれど、ECが全盛の昨今、子供も少ない今となっては日本法人とて安泰とは言いづらい状況にあろう。夢と楽しさを売る商売ほど、難しいものはない。

 忙しい時代、そしてネットでなんでも買える時代。今後はどんどん「空間」というものにこだわらなくなっていくだろう。それでも、いまの子どもたちにも、そういった楽しい思い出の「空間」をたくさん残してあげたい。トイザらスだけではない、全国のおもちゃ屋さんの奮闘を願わずにいられない。
 そして、子どもたちをそういった「空間」にいざなってあげるのもまた、我々大人に求められていることなのだろう。

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