真夜中への告白

彼が亡くなって1年と9ヶ月の間、心の隙間で誰かが死ぬことの軽さや重さを考えていました。自分の死生観がわかり始めた時からは何が正しかったのか、私はどのように折り合いをつけていけばよいのか悩んできました。

やっと心の整理がついたので、ここに書きます。
誰かに見て欲しいわけじゃないけど、心の変化を残しておきたいからです。


彼とは書きましたが、彼氏または恋仲だったわけではなくネットで出会った男性だったと言うだけです。ただ友人と呼ぶには共有できる思い出が少なく、心の距離は親密すぎました。私も彼も現実では憚られるような生身の人生への諦観、本音、やりきれない思いを伝え合う関係。暗い感情その全てを互いに知っているような関係性に名前をつけることが今でもできていません。


出会ったきっかけは「死にたい」を吐き出すしょうもないアカウントでの会話です。

真夜中。これがSNSでの彼の名前でした。

山好きの彼は私が山に行った報告に反応して、程なくこれまでのさまざまな諦観を言い合い、慰め合います。そこから約半年間短く濃いやりとりを継続しました。


そのやりとりの中で彼はふとこれまで海外留学のために貯金したお金のうち100万円を私にくれると言いました。彼のあらゆるツイートの中で個人名が出てきたのは私だけでした。ある時には「精神安定剤」だと言われました。私と接する時には心が落ち着くのだと。


彼にとって私はそこまで心の中に入り込んでしまったのです。
どこか不気味で歪な関係におそろしさを感じていました。


彼が私の誕生日を祝ってくれた時、私には生きていてほしいと言い、死にたい彼も本当は生きたいと願っているように感じていました。目の前の現実がすべてうまくいっていたのなら彼は死を選ばない、という意味です。彼女さんができて、結婚をして、子供が生まれて、その循環の中に入れたのなら彼は前を向くと思っていました。


しかし彼は死ぬ日というものを決めていて、人生を楽しく生きることができないままその期限を迎えます。彼は最後の一ヶ月で家を解約し、キャリーケース一つで放浪する日々を過ごしていました。


私は彼に一度も「生きていてほしい」とは言えませんでした。
当時は実際にそのように考えておらず、ただ彼にとって納得のいく未来にいてほしいとだけ思っていました。その先が死ぬことだったとしても、それを彼が心のそこから望んでいるのならいいじゃないか、と。


程なく、彼が死ぬと決めた日から彼との連絡は途絶えました。彼はアカウントから姿を消しただけでどこかで生きているのかもしれません。
でも多分彼は死んだと思います。それほどに彼は本気でした。

多分彼が私と話して落ち着いたのは偽善の言葉として「生きてほしい」などと言わなかったからです。
でも私は最近になって、そのたった一言を伝えられなかったことを後悔しています。
あの時(自分の存在を過大評価しすぎかもしれないですが)「生きてほしい」と言ったならば、違った選択があったかもしれない。
そんなことを考えると、今でも他人の人生に足を踏み入れることの恐ろしさを痛感し、打ちのめされます。


彼が死んだ後の私は、彼や様々な人との出会いが血肉となり、生きていくことが苦しさだけではないことにやっと気がつけました。
だから彼にとって私があの時出会うべき存在であったのか、いつでも逡巡しています。


いつかまた私という存在が他人にとって必要なものになった時、それは「精神安定剤」としてではなく「人間」としてでありたい。
薬というのは病にかかった時に飲みますが、病気を完治させる魔法ではありません。
その病気を克服するのはその人自身なのです。


どうか私に出会った全ての人が幸福であれと祈っています。


松澤

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