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優しい人

今日は寒い夜です。

日々の気温の変動が激しく、毎朝着る服に困っちゃいます。


先日、興味深く共感したnoteを見つけました。

本当に優しい人ってどんな人だ?という内容のnoteです。

ここに引用して紹介したいくらいなのですが、「スキ」をしたはずが見つからず、記事の内容を思い出しつつ自分でもまとめておこうと思います。


本当に優しい人ってどんなだろうな。

心のどこかでずっと考えていたことでした。

私は人から「優しいね」と言われることがあります。人に対して怒ることが滅多になく人を否定したり、馬鹿にしたりしないから。友人にはもっと怒ってもいいと言われるくらいです。でもこれを言われると、私は褒められているはずなのに、ひどく落ち込みます。

人を褒めるときに使いがちな「優しい」という言葉は、本当にその人を優しいと捉えているわけではない、これを日頃からなんとなく感じていたからです。

そもそも私が他人に怒らないのは、他人にそこまで期待してないからです。他人に期待してないから、その人が本来怒られることをしていても、基本的に「仕方ないな」くらいにしか思えません。こんな人が本当に優しいと言えるのでしょうか。

人を否定しない、馬鹿にしないのも、他人の話を否定や馬鹿できるほどのめり込んで聞けないからです。私は私、あなたはあなた。この考えが前提にある私は他人が何を言ってても、法律に反してても、実際にその法を犯そうとするまではきちんと否定できないでしょう。こんな私が本当に優しいと言えるのでしょうか。

私は「優しい」のではなく、単に「他人に興味がない」だけではないか。

この思いが頭をよくよぎります。

本当に優しい人ならば、法律に反しそうな思想を持っている人がいたら、すぐにその人を引き止めようとするはずです。困っている人をみかけたら、手を差し伸べるのと同じように。だけど、私にはそれができなくて、本当に困っているんだとその人が声をあげない限り手を差し伸べられないんです。他人の人生の片棒を担ぐ勇気が持てないから。

だから、本当に優しい人というのは、他人が何か求めている時に、迷いなく他人の人生に介入していける人なんじゃないかなと思っています。


と、こんなことが私が読んだnoteにもあって、すごく共感したのです。

今度この記事を見つけたら、きちんと「スキ」を押して、コメントをしたいです。

優しい人についてはここまで。ここからは少し思っていることを残しておきたいと思います。

最近noteにを書き残す度、「私は自分の気持ちを守るのに必死だな」と感じます。内容が自分、自分と先行してしまったり、気持ちを整理していった時に残る気持ちが自分のことを許そうとするものばかりだったり。もっと他に目を向けたいのに、自分に囚われてその先にいけていない気がして、心に暗雲がかかます。

自分の気持ちを残したくて始めたnoteなのにこんな気持ちになるのおかしいですね笑

今は気持ちが揺らいでいるだけなんだと思って、まだ深く考えないでおきます。

明日はなにか面白いことがかけたらいいな。そのためにいい夢を。

おやすみなさい。

松澤



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